fc2ブログ

KenConsulting Blog

KenConsultingの本多謙が政治/経済記事を独自の視点で評論します

過剰債務の破局 どう防ぐ

「過剰債務の破局 どう防ぐ」というコラムを英Financial Timesのチーフ・エコノミクス・コメンテーター マーティン・ウルフ氏が2019年5月24日の日経新聞に載せている。これは同紙5月10日付のコラム「世界が低インフレの訳」の後編だ。

コラム子は世界がインフレになる可能性とデフレになる可能性についていくつかのシナリオを提示し、どちらも「正しい選択をしなかったがゆえに招いてしまう悲劇」であって不可避ではなく、その施策を提示している。

それには「財政政策と金融政策を組み合わせてインフレなき成長を創出する」のであって、①「債務比率の高い経済を健全化させる方向にインセンティブを修正」し、②「今の借金頼みの資産バブルへの依存を減らすべく、個人消費を高められるような政策に転換」し、③「金融機関の抱える債務を家計のバランスシートに移転させ」れば良いと言う。

そのせいで「実質金利が上昇しても、生産性は伸びているだろうから、」「債務負担におよぼす影響は、まず間違いなく金利上昇の影響を打ち消しておつりが来るはずだ。」と提案した施策によるマイナスの影響を考慮している。

これが日本経済にそのまま適用できるのだろうか?

日本経済の「長期停滞」は日本以外の大国や小国が成長している中での停滞であって、コラム子に見えている世界とはいささか違う気がする。もっとも、政府債務の増大や低金利は日本では小渕政権時に始まり、この点では世界をリードして来た。

コラム子の③の提案は要するに「企業の借金を減らし家庭の借金を増やす」ということだから、これを知ったら日本の選挙民は怒るだろう。日本経済の問題点は国家が借金に塗れ、企業に現金が溢れ、家庭が貧乏になっていることにあるからだ。かっての不況で金融機関に貸し剥がしに苦しんだ企業は労働分配率を低め(給与を低くし)、ひたすら現金を貯め込み、新規事業投資に金をケチった。その為日本経済はGAFAの様な新規産業も生まれず、自動車産業にすがって生き延びることになった。つまり、IT時代にふさわしい形に産業構造を変態(メタモルフォーゼ)させることができないでいる。例えば中国は国家の強権をもってGAFAに対応する企業群を育てており、日本はそれを見て「すごいな」としかいうことができない。

日本のIT産業はメインフレーム時代の発想のままで化石化している。「情報こそ力だ」ということが経団連も政府も分かっていないのではないか?ネット産業も弱小企業のままで、トップの楽天といえどもGAFA並みには育っておらず米国や中国の後塵を拝している。

気になるのは楽天が5Gのネットインフラ事業を始めようとしていることだ。ネットインフラ事業はネットサービス事業とは全く性格が違い、1企業がこれら2種の事業をすると性格分裂に陥ってしまう。経営者の頭脳が異なる思考体系に耐えられないだろう。ネットインフラは事業モデルが比較的単純で収益を見通しやすいのが落とし穴だ。かってNiftyというネットサービス会社があって成功していたがハードメーカの富士通に買収されてすっかり精彩を失った。NIftyも同じ罠に落ちた。

Googleやアマゾンがネットサービスを提供していないのは、彼らはネットベースのビジネスモデルが見えているからだ。しかし、ハード寄りの発想しかできない日本のIT経営者に彼らと同程度の、高度で複雑な抽象概念を処理して将来のビジネスモデルの構想を構築できるだろうか?それができたとして日本の投資家はそれを理解して忍耐強く事業家を支援し続けられるだろうか?

だから日本の取るべき政策は①労働分配率を上げ、②福祉などの低賃金を上げて未就労の日本人に働く喜びを感じさせ、③意欲ある若いネット起業人に20年単位の投資をしてGAFAに相当する企業を育て、④政府のIT政策の責任者に40歳代の活きの良い者を充てることだ。

折しも米国は中国の世界覇権の意欲を挫こうとしている。この為世界経済は一時的な低迷を避けられないだろうが、その影響は軽微なものになるはずだ。何故なら、それは中国への投資を損切りし中国以外のどこかに新たにサプライチェーンを延ばすことだからだ。

筆者はかってこの状況は日本に漁夫の利をもたらすとブログで書いたことがある。例えば、華為や三星が抜けた穴を埋めるのはSONYや富士通だ。日本に不足しているのは、起業家精神とそれを支える健全な長期投資だ。

PageTop

過剰債務の破局 どう防ぐ

「過剰債務の破局 どう防ぐ」というコラムを英Financial Timesのチーフ・エコノミクス・コメンテーター マーティン・ウルフ氏が2019年5月24日の日経新聞に載せている。これは同紙5月10日付のコラム「世界が低インフレの訳」の後編だ。

コラム子は世界がインフレになる可能性とデフレになる可能性についていくつかのシナリオを提示し、どちらも「正しい選択をしなかったがゆえに招いてしまう悲劇」であって不可避ではなく、その施策を提示している。

それには「財政政策と金融政策を組み合わせてインフレなき成長を創出する」のであって、①「債務比率の高い経済を健全化させる方向にインセンティブを修正」し、②「今の借金頼みの資産バブルへの依存を減らすべく、個人消費を高められるような政策に転換」し、③「金融機関の抱える債務を家計のバランスシートに移転させ」れば良いと言う。

そのせいで「実質金利が上昇しても、生産性は伸びているだろうから、」「債務負担におよぼす影響は、まず間違いなく金利上昇の影響を打ち消しておつりが来るはずだ。」と提案した施策によるマイナスの影響を考慮している。

これが日本経済にそのまま適用できるのだろうか?

日本経済の「長期停滞」は日本以外の大国や小国が成長している中での停滞であって、コラム子に見えている世界とはいささか違う気がする。もっとも、政府債務の増大や低金利は日本では小渕政権時に始まり、この点では世界をリードして来た。

コラム子の③の提案は要するに「企業の借金を減らし家庭の借金を増やす」ということだから、これを知ったら日本の選挙民は怒るだろう。日本経済の問題点は国家が借金に塗れ、企業に現金が溢れ、家庭が貧乏になっていることにあるからだ。かっての不況で金融機関に貸し剥がしに苦しんだ企業は労働分配率を低め(給与を低くし)、ひたすら現金を貯め込み、新規事業投資に金をケチった。その為日本経済はGAFAの様な新規産業も生まれず、自動車産業にすがって生き延びることになった。つまり、IT時代にふさわしい形に産業構造を変態(メタモルフォーゼ)させることができないでいる。例えば中国は国家の強権をもってGAFAに対応する企業群を育てており、日本はそれを見て「すごいな」としかいうことができない。

日本のIT産業はメインフレーム時代の発想のままで化石化している。「情報こそ力だ」ということが経団連も政府も分かっていないのではないか?ネット産業も弱小企業のままで、トップの楽天といえどもGAFA並みには育っておらず米国や中国の後塵を拝している。

気になるのは楽天が5Gのネットインフラ事業を始めようとしていることだ。ネットインフラ事業はネットサービス事業とは全く性格が違い、1企業がこれら2種の事業をすると性格分裂に陥ってしまう。経営者の頭脳が異なる思考体系に耐えられないだろう。ネットインフラは事業モデルが比較的単純で収益を見通しやすいのが落とし穴だ。かってNiftyというネットサービス会社があって成功していたがハードメーカの富士通に買収されてすっかり精彩を失った。NIftyも同じ罠に落ちた。

Googleやアマゾンがネットサービスを提供していないのは、彼らはネットベースのビジネスモデルが見えているからだ。しかし、ハード寄りの発想しかできない日本のIT経営者に彼らと同程度の、高度で複雑な抽象概念を処理して将来のビジネスモデルの構想を構築できるだろうか?それができたとして日本の投資家はそれを理解して忍耐強く事業家を支援し続けられるだろうか?
だから日本の取るべき政策は①労働分配率を上げ、②福祉などの低賃金を上げて未就労の日本人に働く喜びを感じさせ、③意欲ある若いネット起業人に20年単位の投資をしてGAFAに相当する企業を育て、④政府のIT政策の責任者に40歳代の活きの良い者を充てることだ。

折しも米国は中国の世界覇権の意欲を挫こうとしている。この為世界経済は一時的な低迷を避けられないだろうが、その影響は軽微なものになるはずだ。何故なら、それは中国への投資を損切りし中国以外のどこかに新たにサプライチェーンを延ばすことだからだ。

筆者はかってこの状況は日本に漁夫の利をもたらすとブログで書いたことがある。例えば、華為や三星が抜けた穴を埋めるのはSONYや富士通だ。日本に不足しているのは、起業家精神とそれを支える健全な長期投資だ。

PageTop

日本は中国のエネルギー戦略に尽くすべきか?

「もう一つの米中覇権争い」というコラムを日経新聞編集委員の松尾博文氏が2019年5月4日のDeep Insight欄で書いておられる。氏は「米国と中国の摩擦」を「エネルギーの視点で見れば、世界最大の生産国である米国と、世界最大の消費国である中国の攻防と捉えることができる。」と問題提起し、米中の狭間にいる日本はどうすべきかを提案している。筆者はそれに強烈な違和感を感じる。何故かを説明しよう。

松尾氏は以下の様に述べる。

エネルギーの重要性について松尾氏は「エネルギーの確保と国際政治は表裏一体だ。20世紀の2度の世界大戦を経て、石油の確保は国家安全保障の要となり、石油をめぐる地政学が国際政治の重要な関心事になってきた。」と説明している。エネルギーを制する者が世界の覇権を制するのであり、「『エネルギー支配』に動く米国に対し、エネルギーの次世代技術を押さえて米国の支配に挑戦する中国」、と松尾氏はエネルギーを巡って米国と世界が競合している構図を提示している。

この対立の構図に決定的な影響を与えたのが米国のシェール革命で、これにより米国は「ロシアやサウジアラビアを抜いて世界最大の産油国に躍り出」、「米国のエネルギー政策は不足への対応から、余剰への対応に軸足が移った」。
一方中国は「世界最大の1次エネルギー消費国となり、その差は年々開いて」おり、「米国主導の石油・ガス支配の傘に中国を入れたい米国と、入りたくない中国の思惑は反発する」状態になっている。この状態を打破しなければ中国は「一帯一路」という「新興国市場を開拓」し「沿線に勢力圏を広げ」るという「安全保障上の目標」を実現できない。

米中エネルギー生産/消費量


そこで中国はEVや風力発電等の次世代技術に注力し、その「サプライチェーン全体を押さえにかか」っており、実績をあげつつある。事実「17年の太陽光発電パネル出荷の世界上位10社中、9社が中国メーカー」であり「同年に販売されたEVの5割は中国向けだった。」中国政府は国家資本主義による「層の厚い企業群」を「強力な導入支援策」で「後押し」し、「次世代技術で主導権を握」ろうとする。これに成功すれば中国は「世界の4分の1近いエネルギーを消費する中国が仕掛けるエネルギー転換は世界の流れを決め、将来のエネルギー秩序を支配する力を持ち」、米国を凌駕できる。

松尾氏はこの様に中国がエネルギーの次世代技術で米国を圧倒するであろうことを述べ、「エネルギー覇権の行方を決める」のが「資源の多寡でなく、技術の優位性で決まる時代。米中攻防のはざまで日本はどう動くべきか。」と読者に問いを投げかけている。彼はその解答として「重要なのは中国主導のエネルギー秩序にあらがったり、なすすべなくのみ込まれたりするのではなく、欠かせない存在として加わること」を示し、更に日本の政界にも「エネルギー戦略も軸足を移す必要がある。」と注文している。

違和感は、松尾氏は日本を米国と中国という強大国の狭間で翻弄される弱小国だと見ていることだ。どんな議論にも前提条件や仮定がある。松尾氏は、中国が昇り龍であることは間違いなく、弱小日本は米国を忘れて中国に踏み潰されない様にしなければならない、と言っている。この前提条件は正しいのか?中国の経済統計は出鱈目だあることは経済学者でなくとも知っている。ソ連が崩壊した後そのGDPは20倍の水増しだったことが分かっている。だから中国のGDPは実質発表値の20分の1で、そうすると日本はGDP世界第2位であり続けていることになる。GDP2位の国に、GDP3位の国に踏み潰されないように貢献しろと言うのは笑止である。

更に、松尾氏の根拠として挙げている中国の太陽光発電パネルの製造だが、中国の製造量は多いがその技術はほとんど外国のをパクったものだ。中国産業定番の低品質製品の超大量製造でこの産業は壊滅しかけている。EVについても同様だ。中国は技術の消費国ではあっても開発・供給国ではない。それに、中国がエネルギーや食糧を外国に依存する様にしたのは米国の戦略だ。中国は米国の掌の上で踊っているにすぎない。

松尾氏の主張に従えば、日本は中国に「国内向け限定ですよ」と新幹線の技術を提供して競合相手を育てた日本の鉄道運送産業の二の舞を演じることになりそうだ。最初から約束を守る気が無く技術を盗んでやろうと構えている相手とどうやったら国益に適う関係を築けるか教えて欲しいものだ。

折しも米中貿易戦争が一段と過熱し、中国に入れ込んだ韓国経済が壊滅的打撃を受けている。韓国を見れば中国投資がどんなに危険か子供でも判る。華為も世界から孤立しつつある。米国は自由貿易世界を構成した自由、平等などの価値を守る為に、米国が構築した世界貿易の仕組みにただ乗りして世界の覇権を獲ろうとする国を許さないのだ。日本の繁栄がこの仕組みに乗ったものである以上、日本の取るべき進路は明らかだろう。日経新聞子がこれを理解しないはずがない。

日経新聞は中国の提灯持ちをいい加減止めて、どうしたら日本のエネルギー自給率を上げたり安定供給を図るかの政策を提言すべきだ。書くことはいくらでもある。

PageTop

「中国の一帯一路 多国間の協力で」とはどういうことだ?

日経新聞2019年5月18日の「Asiaを読む」欄にルーマニア・アジア太平洋研究所副所長のアンドリーア・ブリンザが「中国の一帯一路 多国間の協力で」という題で中国が一帯一路をAIIBの様な多国間の仕組みに変える案を紹介している。彼女は中国の「一帯一路」が世界の非難の的になったのは、それが中国と他国による2国間のやり取りだからであり、それを改善するには「一帯一路を多国間の形態」にすれば良いと言う。そしてそれに関する問題点をいくつか挙げ論じた後、「中国側は『一帯一路は、中国が世界に提供できる最も重要な公共財』と訴えてきた。本当かどうか証明するため、中国は一帯一路を開放し、国際社会が将来をかたちづくるのを認めるべきだ。」という文でコラムを閉じている。

これに対して日経新聞編集委員の飯野克彦氏はこの提案を支持し、中国がこの提案を採用する可能性について事例を挙げ、それが中国にとっても得になることだと述べている。

なんか怪しい、というのがこの記事を読んだ筆者の感想だ。最初の疑問は、中国の一帯一路が世界中からバッシングされ米中貿易戦争が激しさを増している現状で、なぜ小国ルーマニアの有名でもない研究所の研究者がこの提案をしたか?ということであり、次の疑問は、なぜ日経新聞がこんな無名の研究者の大して大きくもない話題を記事に載せ宣伝したか?だ。

中国は一帯一路が世界から貧乏国を債務の罠に陥れてその国を自分の思うように動かそうとしていると世界から非難されているのでその払拭に賢明になっている。だから、AIIBのビジネスモデルを一帯一路にも採用してそれを多国間の枠組みに変質させようという提案には乗るかも知れない。あるいは中国が世界からの批判をかわす為にあえてこの提案の観測気球を何らかの形で誰かに上げさせて様子を見ようと考えたのかも知れない。そこで、世界のルーマニアのマイナーな研究者に論文を書かせ、それを日経新聞の掲載させた、というシナリオが浮かび上がる。ちなみに、中国は一帯一路でEUを分断しようとしていて、ルーマニアを含む中・東欧16か国は一帯一路構想の覚書に調印している。ルーマニアは中国が約束した原子力発電所がまだ出来ていないと文句を言っているから、ちょっと中国寄りの発言をして中国の気を引きたいところかも知れない。要するに、参加国は、AIIBと同じで中国の大盤振る舞いを期待し、なお且つ自国の権益は守りたいのだ。

EUに加盟する28国  出典;https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/page22_000083.html
EUに加盟する28国  出典;https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/page22_000083.html

日経新聞は中国への投資をこれまで散々煽って来た実績がある。だから、中国が一帯一路に対する非難の嵐を逸らそうとする動きに協力するのもたやすいことだろう。だが、日経新聞の編集委員が現時点でこの提案を推すのは安易に過ぎないか?何故なら、中国が手本にしようとしているAIIBは確かに多国間の組織だが中国にしか利益にならず、日米共に参加しておらず、成功していないからだ。それに一帯一路の発想の源は唐、明時代の中国の覇権を取り戻そうとするものだから、たとえ一帯一路が多国間の枠組みを運営されようともそれは中国の利益だけの為になるだろうことは明々白々だからだ。更に、中国が一帯一路で他国に与える援助の原資は対米貿易の黒字でありそれが急速に減少しているので中国は従来の様に気前のいい旦那ではいられなくなってきている。

飯野氏は「関わっている中国の部門・機関が多いので、容易な課題ではない。共産党政権の意思統一がまず必要になる。」と訳の分からないことを言っている。共産主義政権の第一の特徴は党の一極支配で核心である習が提案していないものを誰が提案しているのだろうか?それは中国共産党の一部なのだろうか?それともトランプなのだろうか?

PageTop

「重すぎる日本のIoT」?ってそこじゃないだろ!

日経新聞2019年4月23日の「Deep Insight」欄にコメンテーターの中山淳史氏が「重すぎる日本のIoT」という題で日本は中国のIoTの実験に後れを取ってはいけないと警鐘を鳴らしている。だが、同じページの下段には「欧米の大衆政策、今は団結モード」という題の英エコノミストの記事の載っていて、中国の投資に警鐘を鳴らしている。どちらの記事の方向に日本政府と企業は進むべきだろうか?

中山氏は先ず「米中摩擦の影響でヒト・モノ・カネの動きが緩慢になり、技術革新に冬の時代が訪れる」懸念を紹介して問題点を提示し、次に「米シリコンバレーと関係が深い中国南部の深圳を歩いた。率直に言えば、『冬の兆し』はあまり感じられなかった。」と中国にとって好意的な結論を述べている。だが、これむはとても中国寄りだ。

即ち「日本はインフラや工場の自動化など」の「『重いIoT』に関心が向きがちだが、身近な技術革新がより多く待ち構えるのは軽いIoTかもしれない。まずは日本企業も中国の産業基盤を試したり、創業の現場に立ち合ったりしてみる価値はある。手をこまぬいているとむしろ、機会損失がとても大きくなる可能性がある。」と、中国発のバスに乗り遅れないように煽ってコラムを閉じている。そしてその理由として「深圳、香港、マカオを合わせた「粤港澳大湾区(グレーターベイエリア)」で巨大な再開発計画が始まり、そこには米サンフランシスコ湾や日本の首都圏に匹敵する経済圏が生まれる予定であり、スタンフォード大、ジョージア工科大など米欧、香港の大学と中国の大学・企業が連携する計画が目白押し」であることを述べている。

中国は単純な加工組立て産業を脱してハイテク産業育成に注力しており、その為に日本を含む西側先進諸国からの投資と技術が欲しいのだ。中国には外貨が不足していることもある。共産党主導の国家資本主義では西側資本主義国ができないハイテクサービスが自由に大々的に試せるので欧米産業界は投資しようとしており、日本企業はこのバスに乗り遅れると損しますよ、というのが中山氏の主張だ。

だが、中山氏は過去に日本企業がどれ程中国に投資しどれ程の利潤を日本に持ち帰れたかご存知だろうか?ゼロだ。なぜなら中国とは資本取引ができないからだ。また、何人の日本人企業人が中国国内で足止めをくらって帰れなくなったかをご存知だろうか?欧米企業はこれらのリスクを考えて中国の甘い罠に対し警戒モードだというThe Economistの記事が日経新聞の同じページの下段に掲載してあるのは皮肉だ。

Economist子は、数年前まで北京の外交官の間では「自国が中国といかに仲がいいかという自慢話を発言の間に滑り込ませていたものだ。中国は扱いにくいとぼやいてみせる」傾向が「影を潜めるように」なり、中国に好意的な「16プラス1」の国々は「中国から期待したほどの商機や投資を実現できないこの枠組みに次第にうんざりし、不満を高めて」おり、中国が「参加国を借金漬けにし、環境を破壊し、アフリカやアジア、アジア太平洋の多くに中国の基準を導入することで他国の参入をできなくしてしまう」ことを懸念し、「中国当局は新疆の再教育キャンプに数十万人に上るイスラム教徒の少数民族ウイグル族を収容し、さらに数百万人を厳しい監視下に置いているとして非難を浴びている。」と述べている。この為西側諸国は天安門事件の後“ゆるく”団結したように今は反中国で団結モードだ、というのだ。

これを読むと西側先進諸国が「粤港澳大湾区(グレーターベイエリア)」に投資しようという雰囲気だとはとても思えない。中山氏は中国お薦め記事を書くならリスク要因にも留意して書いて欲しいと思う。

中国の西側社会に対するメッセージは「
(1)中国の台頭は避けられない 
(2)中国に協力する国は多大な恩恵を受けられる 
(3)従って抵抗しても無駄だ、」
という力で押さえつけるものだ。この強権的姿勢が中国に対する警戒感を持たせることになっただろう。そうした中国の対外活動の原資が米中貿易からの巨大な黒字だったが、これは米中貿易摩擦で急激に減少しつつある。

米国の圧力に不満な日本の指導者たちは中国に肩入れし中国への投資を扇動する者も多いが、だからといって親中国路線が反米国以上のものを日本にもたらすのだろうか。それは一帯一路を受け入れた国々の現状を見れば明らかだ。彼らは日本をチベットやウイグルや旧満州国の様にしたいのだろうか?

米国と中国は世界の覇権を巡って対立しているが、この対立はそれ以上に自由や平等などの価値観の争いだ。経済活動はそれを支える思想が背後にあってこそ成り立つ。

日本はどっちにも良い顔を見せようとしている。且つて天安門事件後、西側先進諸国は団結して中国を経済封鎖したが、その団結を崩すきっかけを作ったのは日本の天皇の訪中だった。日本は中国を救ったのだが、その結果中国は日本の領土を侵害しようとし、米国を凌いで世界の覇権を握り、中国の独裁政治、国家資本主義を世界に押し付けようとしている。日本は中国に利用されたのだ。日本はこの二の舞をしてはならない。

PageTop

05/14のツイートまとめ

SMA_kenhonda

l 「基督教団教会等」内の日本基督教団の東京、西東京、神奈川、東海、中部、京都、大阪教区の教会・伝道所のホームページ情報他を加えました。教会のリストはいくつかありますが、ホームページのURLを整備したリストはここだけでしょう。(2019/5/13)
05-14 12:26

本多記念教会の2019年5月12日 礼拝をアップしました。(2019/5/12)
05-14 12:26

PageTop

リーマンショックから10年経った。世界経済は次の危機に備えなければならない。

日経新聞2019年5月10日の「FINANCIAL TIMES」欄にマーティン・ウルフ氏が「世界が低インフレの訳」という題で世界経済の動向を評論している。

氏は英フィナンシャル・タイムズのコラムニストで、日経新聞はそのコラムを何度も掲載しており、筆者も彼のコラムをいくつも読んでいるから彼の立ち位置は理解している。彼はグローバリストであり、トランプが破壊しようとしている既存の世界経済システムの擁護者であり、中国に対して寛容だ。東欧からの英国移民の子孫としての彼の立場は英国の現在の立場をある程度代弁していて、米国に対して常にシニカルだ。

彼の主張はこのコラムの書き出しで分かる。彼は「現在と将来の世界経済を理解するためには、ここにどうやって至ったのかを知る必要がある。『ここ』とは、名目と実質金利が超低水準で、ポピュリズム(大衆迎合主義)が幅を利かせ、グローバル市場経済が敵視される今日の状況を指す。最も妥当な説明は、実質需要とグローバルな信用創造の拡大・縮小との相互作用が今日の事態を招いた、というものだろう。」と、コラムの最初の段落で既に結論を述べ、その為に発生するであろう危機に対処できなければならないと警告している。

氏が「2008年の金融危機」と呼ぶのはこの年に起きたリーマン・ショックのことだ。氏は、過去20年間はリーマンショック前の10年とその後の10年間に分けられると言う。前半は低金利のために不動産バブルと信用バブルが発生してそれが破裂した10年であり、後半は危機の解決策としてゼロに近い実質金利が定着し債務圧縮が進行し、低成長が続き、ポピュリズムが蔓延(まんえん)した10年間だと言う。

この後半の10年はグローバリストの使徒のオバマとそれを否定するトランプの時代だ。オバマの8年間はグローバリストが米国の製造業を中国に移植し、その結果米国内の失業者が増えた時代だった。2017年のダボス会議での習近平の「我こそは世界の自由貿易体制の守護神だ」という演説がそれを証明する。中国は膨大な強権的財政政策で世界をリーマン・ショックから救ったからだが、その結果債務が膨大に増加し、疑似資本主義システムが形骸化した。氏は先進国の政府と非金融部門の債務が減らない事やその他多くの要因のために需要が長期間低迷したために需要が高まらず、実質金利が下落しその結果世界が低インフレになり、その為に来るであろう次の危機に対処する準備をしなければ、と言う。

氏は次の危機を純粋に経済問題としてしか言っていないが、それは意図してのことなのだろうか?次の危機は中国発だ。中国の債務総額が“一京円”に達した一方で習近平は一帯一路政策を推進して世界に対して覇権を取る意図を明らかにしている。その為に中国が外国に貸し付ける膨大な資金の原資は米国との貿易で発生する利潤であり、軍事的に対抗する技術の源は西側先進諸国からほとんど盗んだものだ。米国議会は自分が育てたと思っていた中国の政治経済システムが鬼っ子になってしまったのを深く反省し、その大改造をしようとしている。その為には世界経済の成長を犠牲にすることも厭わない様だ。

氏は「新たな債務危機や政治の不安定から再び大混乱を引き起こす危険が迫っているのだろうか。そしてこれが一番重要だが、その危険に対処する最善の政策は何だろうか。」と言ってコラムを閉じている。氏の曖昧な表現を筆者なりに言い換えれば「米国は中国をreformしようとしており、世界経済はそのショックに対処しなければならない。その対策は第2の中国を世界のどこかにつくることだ。」ということになろう。

日本は中国5000年の夢から醒めなければならない。隋、唐の時代の中国は既に無く、高々建国70年の開発途上国であり、独裁共産主義国であり、隣国を軍事侵攻して領土を拡大して来た国であり、日本もその例外ではない、ということだ。

PageTop

国語教育の在り方について

「それってあまりに文学的では」という題でコラムニスト小田島隆氏が2018.11.12の日経ビジネスで、文科省が高校の国語教育を「文学国語」と「論理国語」に分けることに対する憂慮を述べている。文科省は高校1年の「総合国語」を大幅に減らし、高2、高3では「論理国語」か「文学国語」のどちらかしか選択できないようにするので、殆どの生徒は「論理国語」を選択するだろうから、生徒の「論理だけでは説明のつくものではない」「人間の行動」に対する理解力が衰えるだろうから、文学者達が「文学的な」不安で反対する通り「この改訂は破滅的な結果を招来する」だろう、ということだ。だが小田島氏は他方でこの文学者達の不安に対する感想を「それってあまりに文学的では」と題名にしている程なので、ご本人は今回の改定案に納得もしている様で、筆者としては一体どっちなんだ?と突っ込みたくなる。

この問題は「国語」、更に言えば「言語」って一体何のためにあるか?という問題から考えなければならず、それを基に「国語教育はどうあるべきか」を考察するべきだ。では、現代社会では国語能力に対するニーズはどこにあるかを考えてみよう。筆者はIT企業が学生を採用する時、多少の技術的知見を有する理系の学生よりも文科系の学生を敢えて採用すると聞いたことがある。何故なら、ITシステムを開発するには先ず要求仕様書を纏めなければならず、その為には顧客の要求を顧客との会話から理解し、それを簡潔に誤解が生じないように図や文章にまとめなければならず、そういう作業は文系の学生の方が得意だからだそうだ。契約書などの法律関係でも、科学技術に関する論文でも、製品の解説書でも、日常の業務に関するメールや会話のやり取りでも、誤解を生じない論理的な表現のニーズは多い。何年か前「今目の前を通過した電車」についてA駅の駅員とB駅の駅員が電話で話した時、自分のいる駅の前を通過した電車のことだと互いに誤解した為に事故が発生したことがあった。事ほど左様に正確な論理的表現は人の生死を左右することがある。これに対して文学的表現能力に対するニーズは広告代理店とか政治家とかにあるが、言語表現全体に対する占有率はかなり低いと言わねばなるまい。

従来の国語教育が文学鑑賞に偏しているという批判は数十年前から聞いているので、マスコミの情緒的扇動的表現に辟易している筆者としては期待を込めてこの改訂を見守ってゆきたいと思う。この改訂の背景は「PISA(経済協力開発機構=OECD=加盟国の共通テスト)で、日本の子供たちの実用文読解の記述問題の正答率が諸外国に比べて著しく低かったという『PISAショック』」にあるとのことで、これは間違った言語能力教育に積弊だろうと思う。

だが、この改革は難儀するだろう。なぜならほとんどの国語教師は文学青年くずれで、7世紀以来の日本文学をどう鑑賞するかは説明できても「論理国語」が何であるかを理解していないからだ。例えば、列車の運行マニュアルとか、スタッフ細胞の研究論文とかそれに類する文書を国語教師たちや読んだことがあるのだろうか? 日本の伝統的な「もののあはれ」や無常観を理解する必要が無いとは言わないが、それを理解するのは国語教育を通してだけでなく、小説や映画やTVドラマを通しても身に付けられるはずだ。

これからは国際化の時代だから日本人は英語をもっと身に付けなければならないという声が喧(かまびす)しい。英語を公用語にした日本企業もあるし、英語で討論する日本の学会もある。だが、筆者は、英語の様な外国語は文型があるために論理的表現が容易になるというメリットがある代わりに微妙な表現ができずにそれを補う為に表現がやたらと長くなるというデ・メリットがあると考える。これに対して日本語は文型が融通無碍であり、表現の幅広く、従って俳句の様な文学が成立したと考える。この特徴により、「外国人にとって日本語は習得しやすい」と言える。日本語を難しくしているのは日本語教師だ。彼らは敬語など外国人が習得しにくい点に特に拘って自分の価値を高めようとしている。

だから、日本人が英語を習得しようとするより外国人に日本語を教えて敬語や日本文化などは大目に見る方が日本にとってプラスになるだろう。英語を公用語にした日本企業には日本語を公用語にしてブロークンな日本語を外人に話させることをお薦めする。関係者にはそこを配慮した高校用、外人用の「論理国語」のテキストを作って頂きたい。


資料;https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/NBD/15/257045/110500189/?ST=pc

PageTop

米の企業制裁の威力と問題点

武器としての経済制裁を日本はもっと研究すべきだ

日本経済新聞2018年5月9日朝刊のDeep Insight欄で「米の企業制裁の威力と問題点」というThe Economistの記事が載っている。(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO30208200Y8A500C1TCR000/)これは米国が経済制裁制裁と国家間の紛争解決手段、兵器としてどう使えるか、どう使うかを学習した過程を簡潔に纏めていて興味深いので紹介したい。原子爆弾が兵器として威嚇以外には使えず、空母や戦闘機が時代遅れになり、戦闘の主体がミサイルとサイバー空間に移行している現在でも、経済制裁が兵器なることを理解している人は日本ではまだまだ少数ではないか?

第8代米大統領ウィルソンは1919年国際的な経済制裁は「音もなく破滅をもたらす措置だ」と表現し、9.11同時テロで「米政府は様々な資金の流れが武器になることに気付」02~08年、様々なケーススタディーで効果を確かめ、今回の北朝鮮への経済制裁や中国に対する関税障壁措置につながった、という。これに関して記事は3つの懸念を挙げている。それは1.「いかなる大企業もこの制裁の標的になり得る」こと、2.「政治的意図に基づいて乱用されたり、狙いが外れて失敗したりする可能性がある」こと、3.「各国はいずれ米国の制裁を逃れる方法を見付ける」のであり、それから逃れるのに必要なのは半導体、グローバルな通貨と決済システム、格付け機関、商取引所、大量の国内投資家、海運会社だ、である。記事は最後を「中国は今、これら全てを手に入れようと画策中だ。米国は新型兵器を使うことで、その威力を誇示できても、同時にその相対的な衰退をも加速させることになるだろう。」と英国人らしく皮肉で結んでいる。

日米中の力関係をこの点から整理してみたい。今後数十年の国際環境が、米国が中国をどう手懐けるかになっているからだ。

この英国のコラム子は重要な点を見落としている。国力の源泉は科学技術であり、製造業の繁栄だということだ。英国はそれを失って久しい。金融業とサービス業に傾斜し過ぎた米国はそれに気付き、製造業を取り戻そうとして日本に頼ろうとしているので日本を無下にはできない。更に、日本は「半導体、グローバルな通貨と決済システム、格付け機関、商取引所、大量の国内投資家、海運会社」全てを持っている。つまり日本に対する経済制裁はし難い状態だ。一方中国はこれらを未だ手に入れていないので米国の経済制裁が効く状態だ。更に、中国の製造業は基盤技術を日米欧に頼っているので技術が輸入できなければ製品は競争力を急速に失う。

思い起こせば日本が米国を攻撃したのもハル・ノートで石油を断たれようとしたからであり、経済では対抗できないので短期決戦を狙ってハワイの太平洋艦隊を襲撃したが、ずるずると4年も戦争し、体力を消耗して負けてしまった。日本国憲法により日本は軍隊を保持しないことになっており、自衛隊の正当性をどう確保するかが大きな議論になっているが、経済制裁してはいけないとは言っていない。軍備を背景としない国際交渉は無力だというが、経済制裁を背景にする国際交渉は成立するのではないか?軍事力は当面米国に担ってもらえばよい。

この様に考えれば東芝が半導体を売却したのは国家的な損失だと言える。事は一企業の算盤勘定ではなく日本列島に住む国民の安全保証にも関わることなのだ。経済界にその認識はあったのだろうか?


PageTop

米の変質、金権政治の果て

リベラルがなぜトランプ氏を罵るのか

Martin Wolf

「米の変質、金権政治の果て」という題のコラムが2018年7月19日の日経新聞に載っている。コラム子はFINANCIAL TIMESのチーフ・エコノミクス・コメンテーター マーティン・ウルフ氏だ。ウルフ氏はこれまでもリベラルの立場からトランプ大統領を口を極めて罵っている。トランプのせいで、かつて光り輝いていたアメリカは失われ、それはもう戻らない、という様に、だ。

日本のマスコミのトランプ大統領に対する論調は米国のリベラルなマスコミのコピーに近い。日経新聞がウルフ氏のコラムを掲載していることからもそれが分かる。しかし日本人にとってアメリカは自分の好きな様に日本を振り回そうとする侵入者でしかないし、トランプ大統領は日本に対して強権的な中国を抑え込もうとしてくれているので有難い存在なのであって、ウルフ氏の見方とは相容れない。リベラルがなぜトランプ氏を罵るのかを考えてみたい。

ウルフ氏の父親は米国が「世界の人にとって自由と繁栄を保証してくれる存在」と確信し、「第2次大戦前にオーストリアから難民として英国に渡」り、ウルフ氏も「その傾向を受け継いだ。」 欧州で窮乏している一般市民にとって、アメリカにさえ行けば自由で豊かな生活ができる夢の国だった。この感覚は日本人には解りにくいだろうが、「アメリカ・アメリカ」という映画を観ればそれが良くわかる。この映画は「エデンの東」のエリア・カザンが脚本化、製作・演出し1964年に公開された。映画は1896年、トルコで弾圧されているギリシャ人の貧しい青年が自由で豊かなアメリカの話しを聞き、アメリカに移住する決心をし、詐欺や重労働に耐えたあげく、何人かの好意に助けられてアメリカの街で靴磨きをするまでを描いている。見終わって深く考えさせる映画だ。ウルフ氏の父親がこの映画の主人公に近かっただろうことは推察できる。

ウルフ氏は「米国は民主主義のとりで」として「欧州がドイツのナチスや共産主義の独裁の手に落ちるのを救った」し、「戦後の米国の政策には4つの魅力があった。人々を引きつけるような価値観を中心に据え、その価値観を共有する同盟国に忠実で、競争に対し開かれた市場を信じ、様々なルールを制度化して市場を支えた。」と米国が築き上げてきた世界の秩序を誇っている。

それなのに、「民主主義、自由、法の支配といった米国の中核をなす価値観を敵視」するトランプ大統領が誕生したのは「米国が乗り越えられないかもしれない政治的な失敗にある」という。その“失敗”とは何か?それは共和党による「富裕層のための金権政治とポピュリズム」、「貪欲と不満につけ込む政治」であり、「富裕層が組織立った形で、利益の飽くなき追求を続けてきた」結果であり、「低所得層を文化や人種によって分断し、選挙区割りを共和党に都合よくどんどん進め、有権者による投票を難しく」したせいだとウルフ氏は言う。従って、トランプ大統領は自分を指示した貧乏な白人たちの期待には応えられないだろうとも言う。

だが、本当にそうなのか。米国は「民主主義、自由、法の支配」の宣教師として日本を含むアジア、中東の多くの国々と戦争した。米国は中東で日本の様に成功しようとしてバグダッドに侵攻した。だが、その後中東が日本の様に変化しないことを体験し、少しずつ自分の理想主義の失敗に気が付いた。米国は日本でしかこの宣教の戦いに成功しなかったと言える。だが、日本にしても「民主主義、自由、法の支配」は1000年以上前から在ったものだから、米国は日本でもこの宣教の戦いに失敗したと言って良い。つまり、米国の理想主義は世界で失敗したのだ。米国はベトナムでも失敗した。これはウルフ氏のようなリベラルにとって重大事件だ。「人々を引きつけるような価値観を中心に据え」それを世界に広める活動の正当性が成立しなくなったのだから。

そして米国がこの理想主義の戦いに邁進している間に米国の資本主義の精神は少しずつ変質し堕落して行った。金持ちは庶民からより多くの金を吸い取ってますます金持ちになり、社会を維持する基盤となる中間所得層が消滅し、多数の窮乏した貧乏人が残り、自殺者と犯罪が増えた。そして米国は世界の警察官を続ける余裕を失っていった。この傾向は民主党政権の間も進んでいたのだから、トランプを非難するのは当たらない。

トランプ氏は米国の窮乏した白人層の指示を受けて大統領に当選し、今のところ公約の実現に成功している。GDP成長率は4%を超え、失業率は2000年以来の最低水準(4.1%)に下がり、米国の雇用を奪った中国と貿易戦争に勝利して雇用を米国に戻そうとしている。もしこの傾向が続けばトランプ大統領は米国を再生した大統領として歴史に名を残すだろうし、ウルフ氏は恥ずかしい思いをするだろう。この場合、日本は米国と歩調を合わせていれば良い。もしこの傾向が進んだ場合、ウルフ氏が指摘した米国社会の所得の一極集中と社会の荒廃が更に進むことになる。

この問題を米国は解決できるだろうか。この問題をもって資本主義の終焉と言う者もいるくらいだ。ウルフ氏は「我々はかつての米国を取り戻すことができるだろうか。それは普通の人々のニーズや不安に応えるのに、もっと政治的に優れた方法を見いだすまでは難しいだろう。」とコラムを締め括っている。彼が控えめに望んでいる「もっと政治的に優れた方法」は社会主義を指すのだろう。ウルフ氏には世界で最も成功した社会主義国(ゴルバチョフ)日本を見よ、と言いたい。日本こそ米国が目指すべき社会モデルなのだ。


資料;https://www.nikkei.com/article/DGKKZO33103690Y8A710C1TCR000/  
https://movie.walkerplus.com/mv455/

PageTop