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KenConsulting Blog

KenConsultingの本多謙が政治/経済記事を独自の視点で評論します

「重すぎる日本のIoT」?ってそこじゃないだろ!

日経新聞2019年4月23日の「Deep Insight」欄にコメンテーターの中山淳史氏が「重すぎる日本のIoT」という題で日本は中国のIoTの実験に後れを取ってはいけないと警鐘を鳴らしている。だが、同じページの下段には「欧米の大衆政策、今は団結モード」という題の英エコノミストの記事の載っていて、中国の投資に警鐘を鳴らしている。どちらの記事の方向に日本政府と企業は進むべきだろうか?

中山氏は先ず「米中摩擦の影響でヒト・モノ・カネの動きが緩慢になり、技術革新に冬の時代が訪れる」懸念を紹介して問題点を提示し、次に「米シリコンバレーと関係が深い中国南部の深圳を歩いた。率直に言えば、『冬の兆し』はあまり感じられなかった。」と中国にとって好意的な結論を述べている。だが、これむはとても中国寄りだ。

即ち「日本はインフラや工場の自動化など」の「『重いIoT』に関心が向きがちだが、身近な技術革新がより多く待ち構えるのは軽いIoTかもしれない。まずは日本企業も中国の産業基盤を試したり、創業の現場に立ち合ったりしてみる価値はある。手をこまぬいているとむしろ、機会損失がとても大きくなる可能性がある。」と、中国発のバスに乗り遅れないように煽ってコラムを閉じている。そしてその理由として「深圳、香港、マカオを合わせた「粤港澳大湾区(グレーターベイエリア)」で巨大な再開発計画が始まり、そこには米サンフランシスコ湾や日本の首都圏に匹敵する経済圏が生まれる予定であり、スタンフォード大、ジョージア工科大など米欧、香港の大学と中国の大学・企業が連携する計画が目白押し」であることを述べている。

中国は単純な加工組立て産業を脱してハイテク産業育成に注力しており、その為に日本を含む西側先進諸国からの投資と技術が欲しいのだ。中国には外貨が不足していることもある。共産党主導の国家資本主義では西側資本主義国ができないハイテクサービスが自由に大々的に試せるので欧米産業界は投資しようとしており、日本企業はこのバスに乗り遅れると損しますよ、というのが中山氏の主張だ。

だが、中山氏は過去に日本企業がどれ程中国に投資しどれ程の利潤を日本に持ち帰れたかご存知だろうか?ゼロだ。なぜなら中国とは資本取引ができないからだ。また、何人の日本人企業人が中国国内で足止めをくらって帰れなくなったかをご存知だろうか?欧米企業はこれらのリスクを考えて中国の甘い罠に対し警戒モードだというThe Economistの記事が日経新聞の同じページの下段に掲載してあるのは皮肉だ。

Economist子は、数年前まで北京の外交官の間では「自国が中国といかに仲がいいかという自慢話を発言の間に滑り込ませていたものだ。中国は扱いにくいとぼやいてみせる」傾向が「影を潜めるように」なり、中国に好意的な「16プラス1」の国々は「中国から期待したほどの商機や投資を実現できないこの枠組みに次第にうんざりし、不満を高めて」おり、中国が「参加国を借金漬けにし、環境を破壊し、アフリカやアジア、アジア太平洋の多くに中国の基準を導入することで他国の参入をできなくしてしまう」ことを懸念し、「中国当局は新疆の再教育キャンプに数十万人に上るイスラム教徒の少数民族ウイグル族を収容し、さらに数百万人を厳しい監視下に置いているとして非難を浴びている。」と述べている。この為西側諸国は天安門事件の後“ゆるく”団結したように今は反中国で団結モードだ、というのだ。

これを読むと西側先進諸国が「粤港澳大湾区(グレーターベイエリア)」に投資しようという雰囲気だとはとても思えない。中山氏は中国お薦め記事を書くならリスク要因にも留意して書いて欲しいと思う。

中国の西側社会に対するメッセージは「
(1)中国の台頭は避けられない 
(2)中国に協力する国は多大な恩恵を受けられる 
(3)従って抵抗しても無駄だ、」
という力で押さえつけるものだ。この強権的姿勢が中国に対する警戒感を持たせることになっただろう。そうした中国の対外活動の原資が米中貿易からの巨大な黒字だったが、これは米中貿易摩擦で急激に減少しつつある。

米国の圧力に不満な日本の指導者たちは中国に肩入れし中国への投資を扇動する者も多いが、だからといって親中国路線が反米国以上のものを日本にもたらすのだろうか。それは一帯一路を受け入れた国々の現状を見れば明らかだ。彼らは日本をチベットやウイグルや旧満州国の様にしたいのだろうか?

米国と中国は世界の覇権を巡って対立しているが、この対立はそれ以上に自由や平等などの価値観の争いだ。経済活動はそれを支える思想が背後にあってこそ成り立つ。

日本はどっちにも良い顔を見せようとしている。且つて天安門事件後、西側先進諸国は団結して中国を経済封鎖したが、その団結を崩すきっかけを作ったのは日本の天皇の訪中だった。日本は中国を救ったのだが、その結果中国は日本の領土を侵害しようとし、米国を凌いで世界の覇権を握り、中国の独裁政治、国家資本主義を世界に押し付けようとしている。日本は中国に利用されたのだ。日本はこの二の舞をしてはならない。

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05/14のツイートまとめ

SMA_kenhonda

l 「基督教団教会等」内の日本基督教団の東京、西東京、神奈川、東海、中部、京都、大阪教区の教会・伝道所のホームページ情報他を加えました。教会のリストはいくつかありますが、ホームページのURLを整備したリストはここだけでしょう。(2019/5/13)
05-14 12:26

本多記念教会の2019年5月12日 礼拝をアップしました。(2019/5/12)
05-14 12:26

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リーマンショックから10年経った。世界経済は次の危機に備えなければならない。

日経新聞2019年5月10日の「FINANCIAL TIMES」欄にマーティン・ウルフ氏が「世界が低インフレの訳」という題で世界経済の動向を評論している。

氏は英フィナンシャル・タイムズのコラムニストで、日経新聞はそのコラムを何度も掲載しており、筆者も彼のコラムをいくつも読んでいるから彼の立ち位置は理解している。彼はグローバリストであり、トランプが破壊しようとしている既存の世界経済システムの擁護者であり、中国に対して寛容だ。東欧からの英国移民の子孫としての彼の立場は英国の現在の立場をある程度代弁していて、米国に対して常にシニカルだ。

彼の主張はこのコラムの書き出しで分かる。彼は「現在と将来の世界経済を理解するためには、ここにどうやって至ったのかを知る必要がある。『ここ』とは、名目と実質金利が超低水準で、ポピュリズム(大衆迎合主義)が幅を利かせ、グローバル市場経済が敵視される今日の状況を指す。最も妥当な説明は、実質需要とグローバルな信用創造の拡大・縮小との相互作用が今日の事態を招いた、というものだろう。」と、コラムの最初の段落で既に結論を述べ、その為に発生するであろう危機に対処できなければならないと警告している。

氏が「2008年の金融危機」と呼ぶのはこの年に起きたリーマン・ショックのことだ。氏は、過去20年間はリーマンショック前の10年とその後の10年間に分けられると言う。前半は低金利のために不動産バブルと信用バブルが発生してそれが破裂した10年であり、後半は危機の解決策としてゼロに近い実質金利が定着し債務圧縮が進行し、低成長が続き、ポピュリズムが蔓延(まんえん)した10年間だと言う。

この後半の10年はグローバリストの使徒のオバマとそれを否定するトランプの時代だ。オバマの8年間はグローバリストが米国の製造業を中国に移植し、その結果米国内の失業者が増えた時代だった。2017年のダボス会議での習近平の「我こそは世界の自由貿易体制の守護神だ」という演説がそれを証明する。中国は膨大な強権的財政政策で世界をリーマン・ショックから救ったからだが、その結果債務が膨大に増加し、疑似資本主義システムが形骸化した。氏は先進国の政府と非金融部門の債務が減らない事やその他多くの要因のために需要が長期間低迷したために需要が高まらず、実質金利が下落しその結果世界が低インフレになり、その為に来るであろう次の危機に対処する準備をしなければ、と言う。

氏は次の危機を純粋に経済問題としてしか言っていないが、それは意図してのことなのだろうか?次の危機は中国発だ。中国の債務総額が“一京円”に達した一方で習近平は一帯一路政策を推進して世界に対して覇権を取る意図を明らかにしている。その為に中国が外国に貸し付ける膨大な資金の原資は米国との貿易で発生する利潤であり、軍事的に対抗する技術の源は西側先進諸国からほとんど盗んだものだ。米国議会は自分が育てたと思っていた中国の政治経済システムが鬼っ子になってしまったのを深く反省し、その大改造をしようとしている。その為には世界経済の成長を犠牲にすることも厭わない様だ。

氏は「新たな債務危機や政治の不安定から再び大混乱を引き起こす危険が迫っているのだろうか。そしてこれが一番重要だが、その危険に対処する最善の政策は何だろうか。」と言ってコラムを閉じている。氏の曖昧な表現を筆者なりに言い換えれば「米国は中国をreformしようとしており、世界経済はそのショックに対処しなければならない。その対策は第2の中国を世界のどこかにつくることだ。」ということになろう。

日本は中国5000年の夢から醒めなければならない。隋、唐の時代の中国は既に無く、高々建国70年の開発途上国であり、独裁共産主義国であり、隣国を軍事侵攻して領土を拡大して来た国であり、日本もその例外ではない、ということだ。

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国語教育の在り方について

「それってあまりに文学的では」という題でコラムニスト小田島隆氏が2018.11.12の日経ビジネスで、文科省が高校の国語教育を「文学国語」と「論理国語」に分けることに対する憂慮を述べている。文科省は高校1年の「総合国語」を大幅に減らし、高2、高3では「論理国語」か「文学国語」のどちらかしか選択できないようにするので、殆どの生徒は「論理国語」を選択するだろうから、生徒の「論理だけでは説明のつくものではない」「人間の行動」に対する理解力が衰えるだろうから、文学者達が「文学的な」不安で反対する通り「この改訂は破滅的な結果を招来する」だろう、ということだ。だが小田島氏は他方でこの文学者達の不安に対する感想を「それってあまりに文学的では」と題名にしている程なので、ご本人は今回の改定案に納得もしている様で、筆者としては一体どっちなんだ?と突っ込みたくなる。

この問題は「国語」、更に言えば「言語」って一体何のためにあるか?という問題から考えなければならず、それを基に「国語教育はどうあるべきか」を考察するべきだ。では、現代社会では国語能力に対するニーズはどこにあるかを考えてみよう。筆者はIT企業が学生を採用する時、多少の技術的知見を有する理系の学生よりも文科系の学生を敢えて採用すると聞いたことがある。何故なら、ITシステムを開発するには先ず要求仕様書を纏めなければならず、その為には顧客の要求を顧客との会話から理解し、それを簡潔に誤解が生じないように図や文章にまとめなければならず、そういう作業は文系の学生の方が得意だからだそうだ。契約書などの法律関係でも、科学技術に関する論文でも、製品の解説書でも、日常の業務に関するメールや会話のやり取りでも、誤解を生じない論理的な表現のニーズは多い。何年か前「今目の前を通過した電車」についてA駅の駅員とB駅の駅員が電話で話した時、自分のいる駅の前を通過した電車のことだと互いに誤解した為に事故が発生したことがあった。事ほど左様に正確な論理的表現は人の生死を左右することがある。これに対して文学的表現能力に対するニーズは広告代理店とか政治家とかにあるが、言語表現全体に対する占有率はかなり低いと言わねばなるまい。

従来の国語教育が文学鑑賞に偏しているという批判は数十年前から聞いているので、マスコミの情緒的扇動的表現に辟易している筆者としては期待を込めてこの改訂を見守ってゆきたいと思う。この改訂の背景は「PISA(経済協力開発機構=OECD=加盟国の共通テスト)で、日本の子供たちの実用文読解の記述問題の正答率が諸外国に比べて著しく低かったという『PISAショック』」にあるとのことで、これは間違った言語能力教育に積弊だろうと思う。

だが、この改革は難儀するだろう。なぜならほとんどの国語教師は文学青年くずれで、7世紀以来の日本文学をどう鑑賞するかは説明できても「論理国語」が何であるかを理解していないからだ。例えば、列車の運行マニュアルとか、スタッフ細胞の研究論文とかそれに類する文書を国語教師たちや読んだことがあるのだろうか? 日本の伝統的な「もののあはれ」や無常観を理解する必要が無いとは言わないが、それを理解するのは国語教育を通してだけでなく、小説や映画やTVドラマを通しても身に付けられるはずだ。

これからは国際化の時代だから日本人は英語をもっと身に付けなければならないという声が喧(かまびす)しい。英語を公用語にした日本企業もあるし、英語で討論する日本の学会もある。だが、筆者は、英語の様な外国語は文型があるために論理的表現が容易になるというメリットがある代わりに微妙な表現ができずにそれを補う為に表現がやたらと長くなるというデ・メリットがあると考える。これに対して日本語は文型が融通無碍であり、表現の幅広く、従って俳句の様な文学が成立したと考える。この特徴により、「外国人にとって日本語は習得しやすい」と言える。日本語を難しくしているのは日本語教師だ。彼らは敬語など外国人が習得しにくい点に特に拘って自分の価値を高めようとしている。

だから、日本人が英語を習得しようとするより外国人に日本語を教えて敬語や日本文化などは大目に見る方が日本にとってプラスになるだろう。英語を公用語にした日本企業には日本語を公用語にしてブロークンな日本語を外人に話させることをお薦めする。関係者にはそこを配慮した高校用、外人用の「論理国語」のテキストを作って頂きたい。


資料;https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/NBD/15/257045/110500189/?ST=pc

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米の企業制裁の威力と問題点

武器としての経済制裁を日本はもっと研究すべきだ

日本経済新聞2018年5月9日朝刊のDeep Insight欄で「米の企業制裁の威力と問題点」というThe Economistの記事が載っている。(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO30208200Y8A500C1TCR000/)これは米国が経済制裁制裁と国家間の紛争解決手段、兵器としてどう使えるか、どう使うかを学習した過程を簡潔に纏めていて興味深いので紹介したい。原子爆弾が兵器として威嚇以外には使えず、空母や戦闘機が時代遅れになり、戦闘の主体がミサイルとサイバー空間に移行している現在でも、経済制裁が兵器なることを理解している人は日本ではまだまだ少数ではないか?

第8代米大統領ウィルソンは1919年国際的な経済制裁は「音もなく破滅をもたらす措置だ」と表現し、9.11同時テロで「米政府は様々な資金の流れが武器になることに気付」02~08年、様々なケーススタディーで効果を確かめ、今回の北朝鮮への経済制裁や中国に対する関税障壁措置につながった、という。これに関して記事は3つの懸念を挙げている。それは1.「いかなる大企業もこの制裁の標的になり得る」こと、2.「政治的意図に基づいて乱用されたり、狙いが外れて失敗したりする可能性がある」こと、3.「各国はいずれ米国の制裁を逃れる方法を見付ける」のであり、それから逃れるのに必要なのは半導体、グローバルな通貨と決済システム、格付け機関、商取引所、大量の国内投資家、海運会社だ、である。記事は最後を「中国は今、これら全てを手に入れようと画策中だ。米国は新型兵器を使うことで、その威力を誇示できても、同時にその相対的な衰退をも加速させることになるだろう。」と英国人らしく皮肉で結んでいる。

日米中の力関係をこの点から整理してみたい。今後数十年の国際環境が、米国が中国をどう手懐けるかになっているからだ。

この英国のコラム子は重要な点を見落としている。国力の源泉は科学技術であり、製造業の繁栄だということだ。英国はそれを失って久しい。金融業とサービス業に傾斜し過ぎた米国はそれに気付き、製造業を取り戻そうとして日本に頼ろうとしているので日本を無下にはできない。更に、日本は「半導体、グローバルな通貨と決済システム、格付け機関、商取引所、大量の国内投資家、海運会社」全てを持っている。つまり日本に対する経済制裁はし難い状態だ。一方中国はこれらを未だ手に入れていないので米国の経済制裁が効く状態だ。更に、中国の製造業は基盤技術を日米欧に頼っているので技術が輸入できなければ製品は競争力を急速に失う。

思い起こせば日本が米国を攻撃したのもハル・ノートで石油を断たれようとしたからであり、経済では対抗できないので短期決戦を狙ってハワイの太平洋艦隊を襲撃したが、ずるずると4年も戦争し、体力を消耗して負けてしまった。日本国憲法により日本は軍隊を保持しないことになっており、自衛隊の正当性をどう確保するかが大きな議論になっているが、経済制裁してはいけないとは言っていない。軍備を背景としない国際交渉は無力だというが、経済制裁を背景にする国際交渉は成立するのではないか?軍事力は当面米国に担ってもらえばよい。

この様に考えれば東芝が半導体を売却したのは国家的な損失だと言える。事は一企業の算盤勘定ではなく日本列島に住む国民の安全保証にも関わることなのだ。経済界にその認識はあったのだろうか?


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米の変質、金権政治の果て

リベラルがなぜトランプ氏を罵るのか

Martin Wolf

「米の変質、金権政治の果て」という題のコラムが2018年7月19日の日経新聞に載っている。コラム子はFINANCIAL TIMESのチーフ・エコノミクス・コメンテーター マーティン・ウルフ氏だ。ウルフ氏はこれまでもリベラルの立場からトランプ大統領を口を極めて罵っている。トランプのせいで、かつて光り輝いていたアメリカは失われ、それはもう戻らない、という様に、だ。

日本のマスコミのトランプ大統領に対する論調は米国のリベラルなマスコミのコピーに近い。日経新聞がウルフ氏のコラムを掲載していることからもそれが分かる。しかし日本人にとってアメリカは自分の好きな様に日本を振り回そうとする侵入者でしかないし、トランプ大統領は日本に対して強権的な中国を抑え込もうとしてくれているので有難い存在なのであって、ウルフ氏の見方とは相容れない。リベラルがなぜトランプ氏を罵るのかを考えてみたい。

ウルフ氏の父親は米国が「世界の人にとって自由と繁栄を保証してくれる存在」と確信し、「第2次大戦前にオーストリアから難民として英国に渡」り、ウルフ氏も「その傾向を受け継いだ。」 欧州で窮乏している一般市民にとって、アメリカにさえ行けば自由で豊かな生活ができる夢の国だった。この感覚は日本人には解りにくいだろうが、「アメリカ・アメリカ」という映画を観ればそれが良くわかる。この映画は「エデンの東」のエリア・カザンが脚本化、製作・演出し1964年に公開された。映画は1896年、トルコで弾圧されているギリシャ人の貧しい青年が自由で豊かなアメリカの話しを聞き、アメリカに移住する決心をし、詐欺や重労働に耐えたあげく、何人かの好意に助けられてアメリカの街で靴磨きをするまでを描いている。見終わって深く考えさせる映画だ。ウルフ氏の父親がこの映画の主人公に近かっただろうことは推察できる。

ウルフ氏は「米国は民主主義のとりで」として「欧州がドイツのナチスや共産主義の独裁の手に落ちるのを救った」し、「戦後の米国の政策には4つの魅力があった。人々を引きつけるような価値観を中心に据え、その価値観を共有する同盟国に忠実で、競争に対し開かれた市場を信じ、様々なルールを制度化して市場を支えた。」と米国が築き上げてきた世界の秩序を誇っている。

それなのに、「民主主義、自由、法の支配といった米国の中核をなす価値観を敵視」するトランプ大統領が誕生したのは「米国が乗り越えられないかもしれない政治的な失敗にある」という。その“失敗”とは何か?それは共和党による「富裕層のための金権政治とポピュリズム」、「貪欲と不満につけ込む政治」であり、「富裕層が組織立った形で、利益の飽くなき追求を続けてきた」結果であり、「低所得層を文化や人種によって分断し、選挙区割りを共和党に都合よくどんどん進め、有権者による投票を難しく」したせいだとウルフ氏は言う。従って、トランプ大統領は自分を指示した貧乏な白人たちの期待には応えられないだろうとも言う。

だが、本当にそうなのか。米国は「民主主義、自由、法の支配」の宣教師として日本を含むアジア、中東の多くの国々と戦争した。米国は中東で日本の様に成功しようとしてバグダッドに侵攻した。だが、その後中東が日本の様に変化しないことを体験し、少しずつ自分の理想主義の失敗に気が付いた。米国は日本でしかこの宣教の戦いに成功しなかったと言える。だが、日本にしても「民主主義、自由、法の支配」は1000年以上前から在ったものだから、米国は日本でもこの宣教の戦いに失敗したと言って良い。つまり、米国の理想主義は世界で失敗したのだ。米国はベトナムでも失敗した。これはウルフ氏のようなリベラルにとって重大事件だ。「人々を引きつけるような価値観を中心に据え」それを世界に広める活動の正当性が成立しなくなったのだから。

そして米国がこの理想主義の戦いに邁進している間に米国の資本主義の精神は少しずつ変質し堕落して行った。金持ちは庶民からより多くの金を吸い取ってますます金持ちになり、社会を維持する基盤となる中間所得層が消滅し、多数の窮乏した貧乏人が残り、自殺者と犯罪が増えた。そして米国は世界の警察官を続ける余裕を失っていった。この傾向は民主党政権の間も進んでいたのだから、トランプを非難するのは当たらない。

トランプ氏は米国の窮乏した白人層の指示を受けて大統領に当選し、今のところ公約の実現に成功している。GDP成長率は4%を超え、失業率は2000年以来の最低水準(4.1%)に下がり、米国の雇用を奪った中国と貿易戦争に勝利して雇用を米国に戻そうとしている。もしこの傾向が続けばトランプ大統領は米国を再生した大統領として歴史に名を残すだろうし、ウルフ氏は恥ずかしい思いをするだろう。この場合、日本は米国と歩調を合わせていれば良い。もしこの傾向が進んだ場合、ウルフ氏が指摘した米国社会の所得の一極集中と社会の荒廃が更に進むことになる。

この問題を米国は解決できるだろうか。この問題をもって資本主義の終焉と言う者もいるくらいだ。ウルフ氏は「我々はかつての米国を取り戻すことができるだろうか。それは普通の人々のニーズや不安に応えるのに、もっと政治的に優れた方法を見いだすまでは難しいだろう。」とコラムを締め括っている。彼が控えめに望んでいる「もっと政治的に優れた方法」は社会主義を指すのだろう。ウルフ氏には世界で最も成功した社会主義国(ゴルバチョフ)日本を見よ、と言いたい。日本こそ米国が目指すべき社会モデルなのだ。


資料;https://www.nikkei.com/article/DGKKZO33103690Y8A710C1TCR000/  
https://movie.walkerplus.com/mv455/

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必要なのは未婚・晩婚対策だ

結婚しなくても子供を堂々と産んで育てられる社会制度を

「必要なのは未婚・晩婚対策だ」という天野 馨南子氏(あまの・かなこ ニッセイ基礎研究所)の記事が日経ビジネス2018年7月27日号に載っている。1人の女性が一生の間に産む子供の数の理論値(合計特殊出生率)が2017年に1.43と2年連続で下ったことは由々しき事態なのだが、少子化の事実認識自体が危うい状態にあり、抜本的対策が必要だという憂国の文になっている。これについてコメントしたい。

天野氏は出生率の推移を次の様に説明している。

夫婦間の子供数と合計特殊出生率の推移
夫婦間の子供数と合計特殊出生率の推移
結婚後15~19年たった夫婦は平均2.07人の子供を生み(完結出生児数)、これは人口を維持できる水準なのに対して、全女性が生む子供数の平均(合計特殊出生率)は1.43なので人工を維持できないことになる。この原因は男性、女性両方の未婚化や晩婚化だ。この点が認識されていないので待機児童対策などをいくらやっても少子化問題の解決策になっていない。

男女の生涯未婚率の推移 
男女の生涯未婚率の推移 
更に「1990年代後半あたりから『男性再婚・女性初婚』というケースが急速に増えていることだ。これは男性の未婚率上昇の時期と重なる。」「一人の男性が繰り返し結婚することが未婚男性の増加につながっている」と説明している。

「夫のみ再婚」の結婚組数の推移
夫のみ再婚
天野氏は次にその原因を、「男性は35歳を分岐点に『妊娠させる力が衰えるグループ』と『そうでないグループ』に分かれるとの研究もある。結婚形態の変化も出生率に影響している」と説明している。

ここで言えるのは、若い女性が結婚して子供を産み育てられる男性を獲り合っているという現象だ。この背景には、子供は結婚した夫婦間で生むものだ、という健全な社会通念があるが、残念なことに経済的に、そして人格的に子供を育てる適性が無い男性は常に一定数存在する。従って、

子供を産み育てたい女性の数 > 子供産み育てる母親の夫になれる男性の数

という不等式が成立し、父となれる男性を獲る競争に敗れた若い女性は齢を経てから再婚相手を獲得して結婚し、それに敗れた女性は一生涯子供を持てないまま生涯を終えるということになる。高学歴で社会で活躍して来て40歳にちかづいたころ急に母となる欲求に目覚めた女性には目ぼしい男性が残っていないので結婚して母親になるのに苦労する傾向がある。結婚相談所経営者のブログではこんな女性に何とかして夢を捨て現実を受け入れて売れ残った男性と結婚させるかの悩みが見える。

こうした状況の基になっているのが「子供は結婚した夫婦間で生むものだ」という社会通念だ。これは健全な社会通念と言うべきだろうが、もしこの条件を外すことができれば出生率は容易に上がるだろう。事実、出生率の高い国では婚外子が多い。出生率はスウェーデンでは1.88、フランスでは2.01(日本では1.46)で、婚外子の割合はスウェーデンでは54.6、フランスでは56.7(日本は2%)だ。この現象はスウェーデンではサムボ、フランスではパックス4という、同棲で生まれた子供にも結婚した夫婦から生まれた子供と同等の社会保障を与える制度が整っているからだ。

結婚はしたくないけど子供は欲しい、という女性が多いことは良く知られている。こういう女性が結婚しなくても子供を産み、それを安心して育てられる環境が必要だ。この場合、父親は既婚でも構わない様にすれば良い。つまり、既婚男性が妻以外の女性と契約し、婚姻に準ずる夫、父親としての責任と役割を果たせる社会制度があれば良い。

一方、子供を育てられない男と結婚し、暴力や浮気に苦しむ女性は多い。両親に虐待されながら「もうおねがいゆるして ゆるしてください」と書き残して衰弱死した5歳の結愛ちゃんの様な悲劇を防ぐには、夫としての適性を欠く男性との結婚に女性が縛られなくても済む制度が必要だろう。父としての適性を欠く男性との結婚生活に苦しむ女性や、母子家庭の女性や、子供は欲しいが結婚したくない女性が、好きになった、または頼りたい男性と契約してその保護が得られる制度があれば良いと思うのだがどうだろうか?結愛ちゃんの様な親としての適性を欠いている親に虐待されている児童を見たらその保護者として立候補し、親権を親から保護者に移す制度があればとも思う。子供にとって、収容施設で育てられるよりも父親と母親がいる家庭で愛されて育てられるのが一番の幸せだから。


サムボについて詳細はhttps://readyfor.jp/projects/sweden/announcements/46138
資料;https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/NBD/15/093000009/072000150/?ST=pc

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NTT、周回遅れの再編

ITサービスと通信回線サービスの両立は無理

NTTがITサービスの新統括会社を作るというニュースが日経新聞2018年8月5日の朝刊に載った。見出しは「NTT、周回遅れの再編」「ITサービスの統括新会社 データ活用、波乗れず 」とかなり手厳しい。 筆者は1980年ころからNTTとは付き合いがあり、特に1987年から1999年までNTTに電話用の局用電子交換機を販売したり、NTTとグループ・ウエアを使った新規事業を立ち上げたり、NTTの新規事業検討の委員会に入ったりした。NTTが電話電報を提供する公営企業からITサービスを提供する私営企業になるまでの変遷を見て来たので、今回の組織再編には若干の想いがある。以下、雑感を述べたい。

戦後の労働争議でNTTは国鉄(現JR)並みに紛糾した。その収拾の方策として「人事の声は天の声」という方針が残った。これは、社員は人事部が発令する異動は神の声として一切異議をとなえず従う、というもので、こうでもしなければ熾烈な労働争議が収まらなかったのだろう。だから、NTTの社員は人事部の異動通知があればそれが自分の希望と違っていても、自分に能力が無いと思っても一言も文句を言わずに従った。何故なら、NTTの社員であり続けることが最優先だったからだ。

NTT(日本電信電話)はKDD(国際電信電話)と違って日本国内の通信を市場としてきたので非常に地域密着で受け身な体質だ。市場は法律で確保されているし、日本全国津々浦々の家まで電話線を引いて電話システムを維持管理するのだから当然だ。だから、NTTにとって計画通り日本国内に電話設備を設置して維持管理するが最重要であり、営業といっても通信回線(土管)を売るだけだった。自然、社員の発想も技能もその方向に特化してゆく。

NorhternTelecom(Nortel Networks)に勤めていた1990年代に「電話交換機もコンピュータも同じ技術を使っているのに市場とメーカがはっきり分かれているのはどうしてか?という議論を社内でしたことがある。市場の環境が違うからだ、という結論になった。通信事業者はネットの構築、保守、運営が主でビジネスサイクルが10年単位だったのに対してコンピュータ(メイン・フレーム)はどんなアプリケーションを使うとどんなメリットがあるかを顧客に訴え続ける必要があり、3年程度のリースでどんどん高機能の機種に切り替えるビジネスモデルだった。 事実、当時IBMは通信事業に興味を持ち構内交換機メーカを買収したりしたが失敗していた。

ネット全体がデジタル化し、インターネットが普及して来て、NTTもこの変化に対応しようとした。世界の主要通信議場者を網羅するシームレスなメッセージングサービスを提供しようとするIBMのビジネスに筆者が従事したのはそのころだった。NTTはロータス・ノーツのホスティングやネットサービスを新規事業として立ち上げようとした。NTT-ME社長からノーツを社員に教えてやってくれと頼まれてそれなりの努力をしたが、「うちの社員は勉強と試験は得意なんだが、、、」というNTT-ME社長の一言を覚えている。頭でわかっていても、IT企業のように顧客に積極攻勢をかけるという姿勢はなかなか身に付かないものだった。

NTTとの新規事業の一応の成功を見てKDDが似たことをやろうとしたのでそのお世話をした。KDDはロータスのコンサルの描いたシナリオ通りに営業し、推奨された通りのセリフを訪問先でしゃべったのだが、IT企業がしゃべる程の迫力が自分のセリフには無いことに気付いた。某通信会社の幹部に新規インターネットサービスを提案しても、土管販売のマインドで話しが通じなかったこともある。IT企業への変身は容易なことではないのだ。

NTTドコモはiモードでモバイル通信事業の未来の姿を世界に誇示し、積極的に海外展開し、同時期にNTT Comは米国のべリオを買収したが、結局2001年度に1兆4千億円の減損処理をすることになった。この時期、筆者はKDD関係者から「NTTの海外展開は怖くない。何より人が育っていない。KDDは長年培った人脈や海外資産がある。」と聞いたことがある。NTT社員なら一度も海外勤務の経験が無くても、人事異動で行けと言われればどんな外国にも赴任しただろう。だが、どんなに優秀でも、たとえ水杯を交わして赴任しても人がいちどきにできることには限度があるのだ。

この失敗の後NTTは海外展開に慎重だったが、その間にIT産業ではGoogle, Amazon, Facebookなどが世界中にサービスを展開する一方、日本は楽天などが国内展開するに留まり、米国の趨勢から大きく遅れることになった。1999年という早い時期に開始したNTTのポータルサイトgooは日本国内でくすぶっているようだ。インターネットサービスは世界展開しないと負けてしまう時代になったのに、残念なことだ。

どうしてこうなったかを考えると、本稿で指摘した、NTTの国内通信事業者としての体質に行き着く。NTTの指導者たちは早くから問題点に気付いて対策を打ってきたが、NTTという1つの組織に通信事業とITサービスという全く性質の異なる事業を入れるのは無理がある。通信事業のビジネスサイクルは10年~20年であり、ITサービスのサイクルは2~3年で、物によっては数か月だ。

逆の意味での典型的な例がある。IBMは通信事業者専用のクラスタ型ノーツサーバを半年後に一般企業に販売開始し、筆者は面目を失ったことがある。どうしてそんな事をしたんだ?と問い詰めると、「半年も待ったんだ」との返事が来た。IBMのIT(ロータス)の経営陣は通信事業のビジネスモデルを理解できなかったのでIBMの通信事業者へのビジネスは成功しなかった。。

今回の組織編制ではNTTはITサービスの統括新会社を作るそうだ。だが、その組織再編が「人事部の神の声」を使った従来通りのやり方で行われるのであれば不安が残る。むしろ、ベゾスの様な者に全てを任せたらどうだろう。その者に人、モノ、技術、資金、人の採用全てをサポートすれば良い。アマゾンは1995年設立以来長年赤字を続けたが投資家たちは忍耐強く彼をサポートし続け今日のアマゾンを作った。ベゾス1、ベゾス2、、、間で競争させ、彼らを忍耐強くサポートし、生き残った者を残せばよい。

他方、通信回線サービスを世界に展開するビジネスモデルもあり得る。世界各国の通信回線の運営を日本から集中して行うのだ。これは日本の安全保障につながるので、長期的視点で日本政府は推進すべきだと思うのだが、これについては別の機会に述べたい。

資料;https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20180805&ng=DGKKZO33820080U8A800C1EA5000 

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揺らぐ資本主義、経済学をどう生かすか

何か頼りない日本の経済学者たち

気鋭の経済学者4人が「揺らぐ資本主義、経済学をどう生かすか」についての議論が2018年8月6日の日経新聞に載っている。これは日本経済新聞の「経済教室」欄が始まって70年になるのを記念したものだ。筆者は高校生の時から50年以上日経新聞を購読し、「経済教室」も良く読んできたのでこの議論に興味を持った。以下感想を述べたい。なお、出席者は慶応義塾大学の小林慶一郎教授、慶応義塾大学の鶴光太郎教授、東京大学の柳川範之教授、京都大学の若林直樹教授だ。

もとより、経済学は自然科学の大成功に触発されてその手法を経済に応用して始まったのだが、自然科学の様に実験室で同一の条件で実験を繰り返し、その結果を統計的優位性で評価するという訳にはゆかない。様々なモデルを作ってもそれを実社会の経済現象にどこまで適用できるかは条件付きだ。

だがしかし、日本の経済学者は戦後、傾斜生産方式という政策を掲げ、それを政府が実行して日本を再興させたという実績を持つ。だから、柳川氏が「中長期的な経済の方向性を示すという要請に、今の経済学は応えられていない。政治を含めた大きな仕組みを論じるモデルがないことが経済学の限界といえる。」と言うのはいささか不満だ。政治には人間の情念とか敵国からの工作活動とかが入り込むから、従来のモデリングの方法論では難しいかも知れないが、AIを組み込んだら少しは何とかなるかも知れない。

鶴氏 「(中略)日本はバブル崩壊からデフレや少子高齢化まで世界に共通する課題を先取りして経験している。海外の経済学者はそれらに応えてくれないので、日本の学者が取り組まないといけない。」には期待したい。このモデル化に成功すれば日本のコンサルタント会社が世界各国の政府や投資機関に高額のコンサルを提供できる。「『豊かになる前に老いてしまう』と悩んでいるのは中国だけではない。

鶴氏 「正社員の終身雇用を土台とする日本の雇用システムは維持できなくなった。(中略)『同一労働同一賃金』は方向性としては正しいが、40%近くまで高まった非正規の比率を20%程度に下げないと雇用システムは安定しないだろう。」については少々注文がある。「同一労働同一賃金」は社会主義の思想であって資本主義の思想ではない。効率的な経営をすれば同一の労働をしてもより高い賃金が得られるのが資本主義だ。利潤を適正に配分するなら問題ない。「非正規雇用の比率を20%まで下げないと雇用システムは安定しない」というのも社会主義の考えだ。この考えでは日本は世界の変化に乗り遅れる。企業は、無能な者はすぐ解雇して、市場や技術の変化に対応すべくそれなりの能力を持った者を直ぐ雇い入れなければ潰れてしまう。米国企業はこれが出来たから企業のビジネスモデルを素早く変革し世界をリードして来たのだ。例えばDELLを見よ。DELLはPCの事業モデルが市場に合わなくなったら株式を非公開にしてビジネスモデルを組み替え、求める能力に相応しい人を採用して新規事業を起こし、再び株式を公開した。日本PCメーカにこんな大胆な変身ができた企業は無い。

小林氏 「(中略)プログラミングなどのITスキルを教育の初期段階から幅広く導入することで、普通の人が技術に対応できるようにすべきだ。」これは今さらこんな事を言うか、だ。せめて20年前にこれを言って欲しかった。

小林氏 「自由な市場経済が民主主義を脅かす事態も生じている。資本主義の成果でもあるITを悪用すれば、選挙結果も操作できる。中国のように民主主義を制限したほうが、資本主義が強くなるという現象も起きている。」これは明らかな認識間違い。白髪三千丈式の中国からの統計数字しか見ていないからこんな事を言うのだろう。株式を売ろうとしたら警察がやって来て逮捕されるような国が資本主義国でないのは明らかだ。中国は資本主義の仕組みは採り入れたが人々の思考回路は清朝の時代と変わらない。だから中国で資本主義が強くなっているというのは間違い。それに、ITは資本主義の成果ではない。戦争の成果だ。ITが無くても民主主義は脅かされる。ナチス・ドイツが正規の民主主義の手続きの結果誕生したことを思い出すべきだ。

この様な認識間違いをするから司会者の「米トランプ政権が保護貿易に走るなど、資本主義が揺さぶられています。」などという頓珍漢な質問になる。揺さぶられているのは資本主義ではなく、グローバリズムであり、トランプのせいで不安になっているのは戦後グローバリズムを推進し世界経済の枠組みを作って来たネオコンなどのグローバリストたちであり、グローバリストたちのけいぁ医学を信奉して来た日本のエリートたちなのだ。

資料;https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20180806&c=DM1&ng=DGKKZO3376912003082018M11200

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ゴールドマンの資本主義

日本は戦後、米国が放棄した城を占領しただけなのだ。

ウォール街の盟主であるゴールドマン・サックスのCEOロイド・ブランクファイン氏が今年9月末に退任しデービッド・ソロモン氏に替わる。2006年の就任以来の「ブランクファイン氏の12年間」を振り返り、日経新聞社コメンテーターの梶原誠氏が「ゴールドマンの資本主義」という題で辛口の評論を2018年8月3日のDeep Insight欄に載せている。

梶原氏はこの「12年間」が「金融が幅をきかせるようになった米国型の資本主義が、社会の反撃を受けて持続不能になった時代だ」と総括する。確かに、「企業が金融の束縛を離れて『自己拡大』する」1950年代の「理想郷」は既に無く、「格差を生んだエゴ丸出しな経営者への怒りは後に噴出し、トランプ氏が16年の大統領選を制する底流をなした」。だが、金融が産業の血液であることには変わりなく、ゴールドマンの新CEOが「担う役割は、経済の持続的な成長を促す金融と経済の関係を再構築することにほかならない。」と言う。

こうした認識は梶原氏だけのものではない。トランプ大統領は海外に移転した製造業を国内に取り戻そうとし、中国などと関税戦争を仕掛けている。その帰趨は先端技術を誰が持っているかで決まる。収奪を旨とする馬賊文化の中国は日欧米の技術にただ乗りしているだけなので、中国に勝ち目は無い。

だが、この戦争は米国にとって何年もかかるだろう。なぜなら、一旦失った技術を取り戻すには教育システムを刷新し、就労者を再教育しなければならないからだ。だが米国はこれを達成するだろう。それは、「ビジネススクールの就職先は将来の産業構造を占う鏡だが、マサチューセッツ工科大(MIT)の場合、10年で金融と主従が入れ替わった」という変化から分かる。

「危機の傷痕が残る今」、かつてGMのCEOが言った様に「「ゴールドマンにとっていいことは米国にもいい」と新CEOが言えるかどうか、「多くの金融機関は」「資本主義の黒子として、米国民に報いることができるだろうか」と梶原氏は評論を終えている。

米国の金融の時代は終わったと認めるべきだろう。MITのビジネススクール卒業生の30%がITに就職するのに対して金融は10%に過ぎないことは、米国が金融の限界と弊害を認め、富と力の源泉をITに置き換えようとしている証拠だ。

だが、この様な傾向は今に始まったことではない。かつて日本が自動車輸出で米国と揉めていた1980年代、米国自動車メーカの経営者が「最近は優秀な卒業生は皆ITに行って自動車には来ない」と劣勢を嘆いていた。日本の自動車産業の隆盛は米国産業の主体が自動車産業からITに移行した為であり、日本の家電産業の隆盛も同様だ。繊維も鉄鋼もそうだ。日本は米国が放棄した城を占領しただけなのだ。であれば、日本のIT産業の現状も理解できる。GoogleやAmazonなどが日本を含む世界を席巻していて日本のIT産業の劣勢は明らかだ。

だが、自動車がIT技術の塊でありそれがネットの端末になるという変革が進行している今、自動車を含むIT産業で日本はどうすべきだろうか?トランプが中国に関税戦争を仕掛けたのは中国が5GなどのハイテクIT技術で米国を凌駕し米国の軍事産業の優位性を脅かそうとしたからでもある。米国が明け渡した産業と市場を捨てず、米国とうまく折り合いをつけてIT産業構造の核となる部分を占め、相互依存関係を深める様にすべきだろう。

米国国債の最大の所有者であり、米国が必要とする技術を持つ日本は、実は米国にとって中国以上に恐るべき相手になる可能性を秘めていることを忘れてはなるまい。
ゴールドマンの資本主義 図20180803

資料;https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20180803&ng=DGKKZO33726800S8A800C1TCR000

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