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KenConsultingの本多謙が政治/経済記事を独自の視点で評論します

ゴールドマンの資本主義

日本は戦後、米国が放棄した城を占領しただけなのだ。

ウォール街の盟主であるゴールドマン・サックスのCEOロイド・ブランクファイン氏が今年9月末に退任しデービッド・ソロモン氏に替わる。2006年の就任以来の「ブランクファイン氏の12年間」を振り返り、日経新聞社コメンテーターの梶原誠氏が「ゴールドマンの資本主義」という題で辛口の評論を2018年8月3日のDeep Insight欄に載せている。

梶原氏はこの「12年間」が「金融が幅をきかせるようになった米国型の資本主義が、社会の反撃を受けて持続不能になった時代だ」と総括する。確かに、「企業が金融の束縛を離れて『自己拡大』する」1950年代の「理想郷」は既に無く、「格差を生んだエゴ丸出しな経営者への怒りは後に噴出し、トランプ氏が16年の大統領選を制する底流をなした」。だが、金融が産業の血液であることには変わりなく、ゴールドマンの新CEOが「担う役割は、経済の持続的な成長を促す金融と経済の関係を再構築することにほかならない。」と言う。

こうした認識は梶原氏だけのものではない。トランプ大統領は海外に移転した製造業を国内に取り戻そうとし、中国などと関税戦争を仕掛けている。その帰趨は先端技術を誰が持っているかで決まる。収奪を旨とする馬賊文化の中国は日欧米の技術にただ乗りしているだけなので、中国に勝ち目は無い。

だが、この戦争は米国にとって何年もかかるだろう。なぜなら、一旦失った技術を取り戻すには教育システムを刷新し、就労者を再教育しなければならないからだ。だが米国はこれを達成するだろう。それは、「ビジネススクールの就職先は将来の産業構造を占う鏡だが、マサチューセッツ工科大(MIT)の場合、10年で金融と主従が入れ替わった」という変化から分かる。

「危機の傷痕が残る今」、かつてGMのCEOが言った様に「「ゴールドマンにとっていいことは米国にもいい」と新CEOが言えるかどうか、「多くの金融機関は」「資本主義の黒子として、米国民に報いることができるだろうか」と梶原氏は評論を終えている。

米国の金融の時代は終わったと認めるべきだろう。MITのビジネススクール卒業生の30%がITに就職するのに対して金融は10%に過ぎないことは、米国が金融の限界と弊害を認め、富と力の源泉をITに置き換えようとしている証拠だ。

だが、この様な傾向は今に始まったことではない。かつて日本が自動車輸出で米国と揉めていた1980年代、米国自動車メーカの経営者が「最近は優秀な卒業生は皆ITに行って自動車には来ない」と劣勢を嘆いていた。日本の自動車産業の隆盛は米国産業の主体が自動車産業からITに移行した為であり、日本の家電産業の隆盛も同様だ。繊維も鉄鋼もそうだ。日本は米国が放棄した城を占領しただけなのだ。であれば、日本のIT産業の現状も理解できる。GoogleやAmazonなどが日本を含む世界を席巻していて日本のIT産業の劣勢は明らかだ。

だが、自動車がIT技術の塊でありそれがネットの端末になるという変革が進行している今、自動車を含むIT産業で日本はどうすべきだろうか?トランプが中国に関税戦争を仕掛けたのは中国が5GなどのハイテクIT技術で米国を凌駕し米国の軍事産業の優位性を脅かそうとしたからでもある。米国が明け渡した産業と市場を捨てず、米国とうまく折り合いをつけてIT産業構造の核となる部分を占め、相互依存関係を深める様にすべきだろう。

米国国債の最大の所有者であり、米国が必要とする技術を持つ日本は、実は米国にとって中国以上に恐るべき相手になる可能性を秘めていることを忘れてはなるまい。
ゴールドマンの資本主義 図20180803

資料;https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20180803&ng=DGKKZO33726800S8A800C1TCR000

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グローバル化の将来は

ローカリズム(ナショナリズム)も悪くない

「グローバル化の将来は」どうなるか、をリチャード・ボールドウィン氏が2018年6月5日の日経新聞「時論」欄で論じている。同氏はジュネーブ国際高等問題研究所教授で、マサチューセッツ工科大の経済学博士、ブッシュ政権の米大統領経済諮問委員会シニアエコノミスト、英シンクタンクCEPR所長兼務、という経済学の世界的権威なのだが、「時論」欄を読む限り、日本を良く知らないで語っている感じがする。

以下、気になる点を述べる。

そもそも、スイスは欧州を影で支配している勢力が欧州という国際環境の問題を処理する為に作った人工国家で、国際決済銀行の本部もスイスにあるくらいだから、スイスの知的機関に勤めている者の言うことはこの背景を頭に置いて聞く必要がある。この勢力が世界でグローバリズムを推進して来た黒幕だからだ。国際自由貿易環境を最も狡猾に利用して世界に覇権を広めようとしている中国の習近平が最近のダボス会議でトランプに対抗して中国が世界の自由貿易の守護者だなんているビックリな演説も、場所がスイスであることを考えると理解できる。中共はこの黒幕の支援を受けていたからだ。

コラム氏は「グローバル化は(価格差を利用して稼ぐ)裁定取引だ。第1次はモノ、第2次は技術ノウハウ、第3次は労働サービスの裁定取引」であり、「要するに在宅勤務が国際化するということだ。」と言う。彼の言う第3次グローバル化はグローバルなインターネット網の存在が前提となっている。彼は、例えば、ウエブサイトの編集は人件費の高いロンドンよりバンコクでやってもらう事が増える、と言っている。だがこれは、バンコクの労働者を低賃金でこき使う、という19世紀的論理の現代版に過ぎないのではないか?

それに、このグローバル発想は地方の文化を破壊する。例えば、数十年前、米国企業が顧客サポートなどのコールセンターを人件費の安いインドに大量に開いたことがある。インドの方が人件費が安く、インド人が英語を話せ、リアルタイムの会話が米印度間の高速国際通信網で可能だったからだ。インド人のコールセンターオペレータたちは米国の一般消費者とじかに会話することが多かったが、通常の会話以外に雑談することがあり、若い女性オペレータなどは米国人の同性愛者などに誘惑されたりすることがあり、自分の育った価値観との違いに深刻な鬱に陥った。地域毎に異なる価値観は多様性の基であり、壊してはならない。世界中をアラーやイエス・キリストや共産主義の教え一色に染めようとして世界は凄惨な経験をしてきた。

コラム子は「反グローバル化の動きは誇張されている。」「米国の製造業は25年以上にわたり自動化とグローバル化に苦しんできた。米政府は彼らがそれに順応するのを支える政策をとってこなかった。所得格差が拡大し、とくに低学歴の男性に問題が集中した。」とトランプが大統領に選ばれた米国の惨状を認め、従来の米国の政策を非難している。問題は、「低学歴の男性」たちにとって新たな技能を身に付け新しい職種に就くことがどれだけ大変か、ということだ。特に、中年以降の者にとってこの変化は受け入れ難い。家族を養ってきた米国の炭鉱労働者、鉄鋼労働者などが突然クビになり、自尊心を傷付けられ、酒や麻薬に逃れた挙句自殺しまた犯罪に走る悲劇にどう対処するのか?今回トランプに投票したのはこういう層なのだ。この新しい技能を身に付けるのは「高学歴の男性」にとっても過酷だ。筆者がかつて勤務していた米国スーパーコンピュータ会社の優秀な技術者は後に「俺は鯨漁船の銛打ちみたいなもんだ。」と言って碁や将棋を打つだけの毎日を過ごす様になった。技術者の頭脳は得意な技術に特化してしまうと他に応用が効かなくなってしまうのだ。人間というのは意外と弱いものだ。社会の変化はその弱さに対し優しくなければならない。そしてそれは穏健なナショナリズムの基で可能だ。

コラム子は「政府の役割は、(グローバル化)に敗れた人々が職を移動できるように(様々な)支援をするといったことだ。」と言っている。彼の言う政府の役割は、日本では主に政府ではなく企業が提供している。例えば、戦後傾斜生産方式により産業の主体が石炭から石油に移った時、炭鉱夫たちが大規模な労働争議を起こしたが、炭鉱夫たちの再配置を円滑に行ったのは三井三池など財閥の人事部だった。コラム子は日本の実情を知らない。

コラム子は第1次グローバル化により「(日米欧の)先進国がいち早く工業化し他の国々が停滞するgreat divergenceが起こり」、「1990年ごろから」「新興国が先進国よりも速い成長をとげる」「great convergence」が始まったと言う。日本人である筆者にしてみれば、これは日本が大東亜戦争で東アジアの欧米の植民地を解放し現地住民を教育したからだ、と言いたい。Great convergenceは日本の成果なのだ。

コラム子は「統計的にみても、言語が共通な国との間の貿易は、そうでない国の間のおよそ2倍だ。言語障壁がなくなると貿易は活発になる」と言い、自動翻訳の発達で日本人の英語能力の壁を楽観している。だが、Googleの自動翻訳を見ても、その品質は実務にそのまま使えるとは言い難く、自動翻訳技術の発展の歴史をみても、その進展はコラム子が言うほど楽観はできない。

徳川幕府の施政下で人口百万の江戸の50万の町人を取り締まる正規の警察官がたった24人しかいなかったこと、江戸時代に欧州のルネサンスに匹敵する学術の発展があったことを顧みれば、江戸時代の日本は一種の理想郷だったことが分かる。この、日本列島内で自給自足していた平和で安定した幸福な人々を戦争に駆り立てたのは、土着民を搾取するグローバリズムというビジネスモデルを世界で展開していた白人(アーリア人)だった。そして彼らの世界征服(グローバリズム)を可能にしたのは兵器や輸送手段などの科学技術だった。コラム子の主張は現代の日本用に多少表現を変えているが本質的にこの時代と変っていない。

勿論、日本が再度鎖国(強い制限貿易)状態に戻ることはあり得ない。しかし、鎖国(強いローカリズム・ナショナリズム)状態で繁栄し平和な世界を作っていたことは、日本人がその方法論を知っていることの証拠ではないか?

日経新聞編集委員の藤井彰夫氏は本コラムの「聞き手から」欄で「新しいグローバル化に対応するには、より柔軟な労働市場に向けた改革は急務だ。改革が遅れれば遅れるほど、日本全体が負け組になってしまうリスクも高まるのではないだろうか。」と述べ、グローバリストの主張に適応しないと時流に乗り遅れるという恐れを隠さない。これがグローバリズムは善だというパラダイムで育った日本のエリートの典型的な反応だろう。

だが、折しも米国のトランプ大統領は行き過ぎたグローバリズムで荒廃した米国の庶民を救うために米国内のそして世界中のグローバリストと戦い、グローバリストたちが構築して来た世界の仕組みを再構築しようとしている。この傾向は米国以外も類似している。時代はグローバリズムから新しいナショナリズムに移っている。日本の、そして世界のエリート達は新しいナショナリズムの時代がどういうものか理解できず不安に陥っている様に見える。日本人は、江戸時代の経験を基に新しいナショナリズムの世界像を描くことができるとは思わないか?


資料;https://r.nikkei.com/article/DGXKZO31338680U8A600C1TCR000

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AIは人を幸せにするか

クラウス・シュワブ氏は日本にとって危険人物か?

世界経済フォーラム会長のクラウス・シュワブ会長との「AIは人を幸せにするか」という題のインタビューが2018年5月8日の日本経済新聞に載った。筆者はかって日本でAIソフトビジネスを立ち上げたことがあるので興味深く読んだ。シュワブ氏は「ダボス会議」を主催する、世界経済の方向性を考える上で不可欠な人だ。
インタビュー記事からシュワブ氏を探ってみたい。

スイスの大学の博士号を持つにすぎないシュワブ氏がなぜダボスというスイスの寒村に世界中の指導者を集め世界の問題を話し合うようにできたか?それはスイスが永世中立国となり多くの国際機関の本部がスイスにあるのか?という疑問につながる。世界決済銀行の本部もスイスにある。スイスはロスチャイルド家などの欧州の影の指導層が国家間の紛争を調整する場として作った人造国家なのだ。だからシュワブ氏はドイツ出身でありながらスイスに住み、一介の博士号取得者でありながらこの影の指導者層の信任を得た指導者として国際会議を主催できているのだ。国際社会という枠組みは欧州で発生しそれが全世界に拡大した。国際社会を一つの論理で統一的に把握し導こうという彼らの指向性はかつて共産主義を生み育てたが、これは失敗した。この指向性は彼の話しの節々に出てくる。シュワブ氏と世界経済フォーラムはこの様な性質の団体だということは覚えておいた方が良い。

彼はICT革命に続く第四次産業革命を提唱し、「第4次産業革命センター」を米サンフランシスコに設立し2つ目のセンターを日本に作ろうとしている。このセンターの目的は「技術に限らず社会、政治にも及ぶ」産業革命がもたらす「有難くない結果を避けられる制度、規制を分析し、世界に提案」することにある。今後日本政府や産業界は同センターからの働きかけに対応する面倒な作業に振り回されることになるだろう。そういう意味でも、このインタビュー記事はより多くの人が読むべきだ。

シュワブ氏による産業革命の区分は割とユニークで、『地球は宇宙の中心ではない』ことを知り、科学に目覚め(第1次)、『人間は生物学的進化の一部である』ことを発見し(第2次)、「我々の意思決定が意識的ではなく、無意識に大きく影響されている」ことを理解し(第3次)、人工知能によって「コンピュータの方が人類より優れたアルゴリズムを作り出すことを眼の当たりにした(第4次)という西洋人らしいものだ。彼は無意識界を深く思惟していた東洋思想には詳しくない様だ。それは「世界が共に生きていく方法。その優れた模範として孔子の教えに学ぶことが多いと考えている。」という言葉からも分かる。これは支配体制維持の為の理論だった儒教に対する買い被りか誤解だ。儒教の為に中国は停滞し西洋の攻勢により没落した。氏はむしろ徳川300年の平和と繁栄をもたらした日本の文化に学ぶべきだろう。日本の歴史家は彼に、徳川の平和が1万年以上前の縄文文化や大和朝廷が覇権を獲るまでの動乱の歴史に依ることを教えなくてはならない。彼は中国に洗脳されている匂いがする。

彼の言で見逃せないのは「プラットフォーム経済というものが確立した以上、それを作り上げた企業には競争戦略の必要性が減る。あとは立法者たちの仕事だ。プラットフォーム経済を定着させ、経済の競争力をどう保つかを考えることだ」だ。これを読んでAMAZONやGoogleやフェイスブックなどのプラットフォーム産業がなぜ世界制覇したかが分かった。シュワブ氏らの戦略に同調する投資家が、例えばAMAZONが成功するまで10数年も忍耐強く投資を続けたのだ。日本のIT指導者たちはこの戦略に気付かず、プラットフォーム経済では完全に後れを取った。中国の阿里巴巴の成功もWall Streetが支援したからだ。プラットフォームサービス上に成立したICT産業はそのサービス事業者の掌の上でしか踊ることができない。シュワブ氏らは海外のプラットフォーム事業者のビジネスが有利になる法律をこれから色々と日本政府に要求してくるに違いない。日本はそれに対抗する戦略が必要だ。

中国との経済摩擦に関して氏は「単なる貿易戦争ではなく、第4次産業革命における覇権が絡んだ攻防だろう」と言っている。これは中国を買い被り過ぎだろう。中国は本質的に詐術と体面の国だ。第3次産業革命を成立させた科学技術を外国から借りて来て製造業を興しGDPを世界第2位にしたのに酔って海外に覇権を求めたに過ぎない。中国は早まったのだ。

日経新聞の中山敦史氏は「聞き手から」の欄で、ルネサンスで「大きかったのは人間の価値判断基準が『啓示』から『観察』に移っていったことだろう」と述べ、更に「第四次産業革命を象徴する言葉とは何か。『解析』だろう。」と述べている。ビジネスでも学問でも「啓示」が大手を振っている分野がまだまだ多い。この言葉は何度も折に触れ多くの事象に適用してみるべきだろう。

資料;https://www.nikkei.com/article/DGXKZO30169230X00C18A5TCR000/

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外国人労働とどう向き合うか?

これは日本がどういう国であるべきか?という問題

「外国人労働とどう向き合う」という記事(上)、(下)が2018年6月25日、26日の日本経済新聞「経済教室」に載っている(注)。この見出しは(上)では「拙速な受け入れ拡大避けよ。 「技能実習」の経験を参考に」、(下)では「『量』変調の政策・意識転換を。 『選ばれ続ける国』へ正念場」とある。コラム氏は、「現状の外国人の技能実習制度は弥縫策であり、様々な問題を抱えている。それを解消する為に政府は2025年までに50万人超の労働力を確保すべく在留資格を拡大した。しかし、日本経済は年間40万人の外国人労働力の参入を確保しないと回らないので、『帰還移民』の様な発想を変えた政策が望ましい」と言っている。「帰還移民」とは、何年か日本で働くと母国に帰る仮想移民のことだ。

海外の労働力を日本の産業の為にどう使うか、という問題はコラム氏とは別の観点から注意深くなければならないと思う。筆者は移民について「移民の経済学」という題で2015年7月1日にブログを発表し、一人の移民犯罪者を受け入れることで社会を維持する費用が等比級数的に増大するので、移民は決して経済的ではないことを指摘している。事実、日本は過去に移民で失敗している。朝鮮半島からの移民が良い例だ。日本が李氏朝鮮を併合した時、日本の文盲率は5%で、朝鮮の識字率は5%だった。日韓併合後、朝鮮半島から豊かな日本に職を求めて朝鮮人が少しずつ日本に移住し始めたがその多くは文盲で、日本で貧困階層を構成した。大東亜戦争後、彼らは連合国側に寝返り、戦勝国民として日本人に多くの犯罪を犯した。日本はこの様な犯罪者を朝鮮に送還しようとしたが、李承晩はそれを拒んだので、日本は彼らを日本に滞留させざるを得なくなった。李承晩は済州島で自国民を大量虐殺し、その避難民は日本に不法入国し、そのまま日本に滞留した。これらの移民たちは日本で被害者ビジネスを始め、日本を大いに貶めた。彼らの為に日本が負担した費用は筆者がブログ「移民の経済学」で指摘した通りだ。

ドイツは第二次大戦後の復興の為にトルコ人を移民させた。彼らはドイツ国内に住み、次第に家族を呼び寄せ、彼らを頼ってその親戚たちが移民してきた。移民たちは当初帰国するはずだったが、彼らの子供達がドイツで育ったこともあり、ドイツに帰化することを願った。誰でも自分の生まれ育ったところが故郷になり、故郷で自分の生を終えたいと思うものだ。これが人間の性(さが)なのだ。ここで宗教というやっかいなものが絡んでくる。トルコ人はイスラム教を捨てず、キリスト教に改宗せず、キリスト教社会を侵略しようとしている。下層社会に押し込められたイスラムの移民たちは上層のキリスト教社会を憎み、倒そうとする。移民たちは特定の産業を支配し、ドイツ社会は移民無しでは運用できなくなってしまい、ドイツは不法移民を送還できなくなった。同じ問題が「帰還移民」を実行した日本で必ず起こるだろう。「まあ、まあ、」では済まない。事実、かつて日本の地方都市で「誰かがコーランを破って捨てたのはけしからん」とイスラム教徒たちがデモをし、混乱したことがある。「帰還移民」は理論的には成立するが、人間の本姓を考慮していないので問題の解決にはならない。

筆者の考えるソリューションは以下の通りだ。A国からの労働者を活用したい団体Bは、先ずA国に進出して自分のビジネスを行い、A国の労働者をA国で雇う。その者は自己の費用で日本語を勉強し、日本で仕事ができる様日本式の仕事の仕方を身に着ける。これに習熟した段階でBはその者を日本で働かせる。その更新期間は2年程度とし、必要に応じて帰国させ、家族を帯同しない。こうすれば「使い物になったころに帰国してしまう」技能実習生の問題は無くなる。A国は自国の労働者の質を税金を使わないで上げることができる。

サービス業や農業は競争相手に勝つには安価な労働力が今すぐ欲しいだろうが、「海外の労働力を使わない」という競争相手と同じ条件で商売できる環境を受け入れるべきだ。機械化やシステム化で工夫の余地はいくらでもあるし、その様にして開発したシステムは海外でも展開できる。


資料;https://r.nikkei.com/article/DGXKZO32110960S8A620C1KE8000 https://r.nikkei.com/article/DGXKZO32194360V20C18A6KE8000

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デジタルサミット2018に寄せて(2)

情報産業は国家安全保障にどう関わるべきか

日本経済新聞社が6月4,5日 に「世界デジタルサミット 2018」を開催し、そのライブ中継を見た。テーマは「シンギュラリティへの挑戦」。その動画アーカイブは後日公開の予定)サミット2日目の最後のプログラムは「サイバー・ウォーフェアと世界協調」だった。この題は矛盾する概念を含んでいる。“ウォー(War)”は対立の結果発生するが“協調”は平和に関連する概念だ。何故こういう題になったのか?

インターネットは世界の距離の概念を無くし、完全な民主主義を実現すると期待された。世界の距離の概念が無くなれば人々は互いに理解し合い世界は平和になるだろうと理想主義者たちは考えた。米国の投資家たちはインターネットのこの性質を利用してグローバルなインターネットサービスのビジネスモデルを実現した。その結果、グーグル、アマゾン、フェイスブック、マイクロソフトなどがグローバルにネットワークサービスを提供するに至った。

だが、人と人は話し合えば話し合うほど違いがはっきりし、妥協できない状況に陥ることもある。数千年間民族対立を繰り広げてきたパレスチナでイスラエル国境の壁が建設されているのはその好例だ。最近はトランプがメキシコ国境に壁を造ろうとしている。メキシコからの不法移民や麻薬などの犯罪流入を阻止するためだ。国家という生命財産文化産業のユニットを安全に保つには利益の相反する国家に対して障壁が必要だ。

グーグル、アマゾン、フェイスブック、マイクロソフトなど世界規模でサービスを提供するサービス事業者が世界中の個人の売買や移動や主張などの動きに関する情報を占有するに至りこれに対処する動きがある。例えば、5月31日の日経新聞朝刊6面の「企業データと大衆監視」という寄稿(https://r.nikkei.com/article/DGKKZO31145610Q8A530C1TCR000?type=edition&name=paper&edition=20180531M101)ではラナ・フォルーハー氏(コラムニスト)はその危険性について述べている。これらの米国系ネットサービスのサーバーは米国にあり、日本国民のこれらのサービスのユーザの情報を日本政府は把握できないし制御できない。韓国資本のメッセージングサービスLINEのサーバーは韓国内にあり、日本国はそれに対して無防備だ。これは国家主権を半分放棄したものと言える。EU(欧州連合)はこの危険性を認識し、GDPR(一般データ保護規則 General Data Protection Regulation)を制定した。中国政府もこれを認識し、自国にTwitterやSMSやGoogleやAmazonに対抗するサービス事業者(バイドウ、アリババ、テンセントなど)を育て世界的にサービスを拡大し同時に国内を世界のインターネット網から隔離している。中国共産党政府は第2次世界大戦後、満州やチベットに侵攻しその地の民族の言語と文化を破壊し、若い女性を強制移住させて民族浄化し、ジョージ・オーウエルの描く「1948年」社会体制を構築中だ。

残念ながら、デジタルサミットのフォーラムで発言した日本政府関係者にはこうした危機感は、当日の発言を聞く限り、薄かった様に見える。「日本だって世界中の建設機械の稼働に関するデータは日本に集めてる」からお互い様だという趣旨の発言だったが、何千万という国民の日々の通信、会話、売買などの情報と例えば建設機械の摩耗データを同列に扱うのは間違いだ。某国が自国にある日本人のメッセージングサービスの利用履歴やコンテンツの視聴履歴や書籍の購入履歴を基に個人の思想や趣味嗜好を抽出し、使えそうな個人を特定し、それを工作員に育て上げることも可能だからだ。

日本政府はその様な脅威から自国民を護らなければならない。何故なら、電子機器が社会のインフラの隅々にまで浸透した現代では、「銃やミサイルなどの火器による戦闘行為」はその戦争の最終形態であり、その前の経済制裁やサイバー攻撃や情報漏洩などの血を流さない戦争が日常になっているからだ。北朝鮮や中国から米国に対するサーバー攻撃は日常に起きているし、日本もその対象外ではない。米国やEUの様な国々とはこの様な国家安全保障の仕組みを議論し調整して一定ルールに収束させることも可能だろう。だが、西側に明らかに敵対している北朝鮮や中国とはどの様な対抗措置が可能だろうか?

日本にはインターネット情報産業のビジネスモデルがいくつもあったし、今もある。楽天やニコニコ動画等だ。だがその多くが米国が敷いた地地球規模という点で米国企業に負けている。日本の政策担当者は米国のinitiativeに無批判に従っているだけかも知れない。日本は日本の国家安全保障という観点からインターネットによる情報産業の構造を再設計し育成する必要がありはしないか?

(資料; http://www.digital-summit.jp/2018/streaming.html )

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