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KenConsultingの本多謙が政治/経済記事を独自の視点で評論します

グローバル化の将来は

ローカリズム(ナショナリズム)も悪くない

「グローバル化の将来は」どうなるか、をリチャード・ボールドウィン氏が2018年6月5日の日経新聞「時論」欄で論じている。同氏はジュネーブ国際高等問題研究所教授で、マサチューセッツ工科大の経済学博士、ブッシュ政権の米大統領経済諮問委員会シニアエコノミスト、英シンクタンクCEPR所長兼務、という経済学の世界的権威なのだが、「時論」欄を読む限り、日本を良く知らないで語っている感じがする。

以下、気になる点を述べる。

そもそも、スイスは欧州を影で支配している勢力が欧州という国際環境の問題を処理する為に作った人工国家で、国際決済銀行の本部もスイスにあるくらいだから、スイスの知的機関に勤めている者の言うことはこの背景を頭に置いて聞く必要がある。この勢力が世界でグローバリズムを推進して来た黒幕だからだ。国際自由貿易環境を最も狡猾に利用して世界に覇権を広めようとしている中国の習近平が最近のダボス会議でトランプに対抗して中国が世界の自由貿易の守護者だなんているビックリな演説も、場所がスイスであることを考えると理解できる。中共はこの黒幕の支援を受けていたからだ。

コラム氏は「グローバル化は(価格差を利用して稼ぐ)裁定取引だ。第1次はモノ、第2次は技術ノウハウ、第3次は労働サービスの裁定取引」であり、「要するに在宅勤務が国際化するということだ。」と言う。彼の言う第3次グローバル化はグローバルなインターネット網の存在が前提となっている。彼は、例えば、ウエブサイトの編集は人件費の高いロンドンよりバンコクでやってもらう事が増える、と言っている。だがこれは、バンコクの労働者を低賃金でこき使う、という19世紀的論理の現代版に過ぎないのではないか?

それに、このグローバル発想は地方の文化を破壊する。例えば、数十年前、米国企業が顧客サポートなどのコールセンターを人件費の安いインドに大量に開いたことがある。インドの方が人件費が安く、インド人が英語を話せ、リアルタイムの会話が米印度間の高速国際通信網で可能だったからだ。インド人のコールセンターオペレータたちは米国の一般消費者とじかに会話することが多かったが、通常の会話以外に雑談することがあり、若い女性オペレータなどは米国人の同性愛者などに誘惑されたりすることがあり、自分の育った価値観との違いに深刻な鬱に陥った。地域毎に異なる価値観は多様性の基であり、壊してはならない。世界中をアラーやイエス・キリストや共産主義の教え一色に染めようとして世界は凄惨な経験をしてきた。

コラム子は「反グローバル化の動きは誇張されている。」「米国の製造業は25年以上にわたり自動化とグローバル化に苦しんできた。米政府は彼らがそれに順応するのを支える政策をとってこなかった。所得格差が拡大し、とくに低学歴の男性に問題が集中した。」とトランプが大統領に選ばれた米国の惨状を認め、従来の米国の政策を非難している。問題は、「低学歴の男性」たちにとって新たな技能を身に付け新しい職種に就くことがどれだけ大変か、ということだ。特に、中年以降の者にとってこの変化は受け入れ難い。家族を養ってきた米国の炭鉱労働者、鉄鋼労働者などが突然クビになり、自尊心を傷付けられ、酒や麻薬に逃れた挙句自殺しまた犯罪に走る悲劇にどう対処するのか?今回トランプに投票したのはこういう層なのだ。この新しい技能を身に付けるのは「高学歴の男性」にとっても過酷だ。筆者がかつて勤務していた米国スーパーコンピュータ会社の優秀な技術者は後に「俺は鯨漁船の銛打ちみたいなもんだ。」と言って碁や将棋を打つだけの毎日を過ごす様になった。技術者の頭脳は得意な技術に特化してしまうと他に応用が効かなくなってしまうのだ。人間というのは意外と弱いものだ。社会の変化はその弱さに対し優しくなければならない。そしてそれは穏健なナショナリズムの基で可能だ。

コラム子は「政府の役割は、(グローバル化)に敗れた人々が職を移動できるように(様々な)支援をするといったことだ。」と言っている。彼の言う政府の役割は、日本では主に政府ではなく企業が提供している。例えば、戦後傾斜生産方式により産業の主体が石炭から石油に移った時、炭鉱夫たちが大規模な労働争議を起こしたが、炭鉱夫たちの再配置を円滑に行ったのは三井三池など財閥の人事部だった。コラム子は日本の実情を知らない。

コラム子は第1次グローバル化により「(日米欧の)先進国がいち早く工業化し他の国々が停滞するgreat divergenceが起こり」、「1990年ごろから」「新興国が先進国よりも速い成長をとげる」「great convergence」が始まったと言う。日本人である筆者にしてみれば、これは日本が大東亜戦争で東アジアの欧米の植民地を解放し現地住民を教育したからだ、と言いたい。Great convergenceは日本の成果なのだ。

コラム子は「統計的にみても、言語が共通な国との間の貿易は、そうでない国の間のおよそ2倍だ。言語障壁がなくなると貿易は活発になる」と言い、自動翻訳の発達で日本人の英語能力の壁を楽観している。だが、Googleの自動翻訳を見ても、その品質は実務にそのまま使えるとは言い難く、自動翻訳技術の発展の歴史をみても、その進展はコラム子が言うほど楽観はできない。

徳川幕府の施政下で人口百万の江戸の50万の町人を取り締まる正規の警察官がたった24人しかいなかったこと、江戸時代に欧州のルネサンスに匹敵する学術の発展があったことを顧みれば、江戸時代の日本は一種の理想郷だったことが分かる。この、日本列島内で自給自足していた平和で安定した幸福な人々を戦争に駆り立てたのは、土着民を搾取するグローバリズムというビジネスモデルを世界で展開していた白人(アーリア人)だった。そして彼らの世界征服(グローバリズム)を可能にしたのは兵器や輸送手段などの科学技術だった。コラム子の主張は現代の日本用に多少表現を変えているが本質的にこの時代と変っていない。

勿論、日本が再度鎖国(強い制限貿易)状態に戻ることはあり得ない。しかし、鎖国(強いローカリズム・ナショナリズム)状態で繁栄し平和な世界を作っていたことは、日本人がその方法論を知っていることの証拠ではないか?

日経新聞編集委員の藤井彰夫氏は本コラムの「聞き手から」欄で「新しいグローバル化に対応するには、より柔軟な労働市場に向けた改革は急務だ。改革が遅れれば遅れるほど、日本全体が負け組になってしまうリスクも高まるのではないだろうか。」と述べ、グローバリストの主張に適応しないと時流に乗り遅れるという恐れを隠さない。これがグローバリズムは善だというパラダイムで育った日本のエリートの典型的な反応だろう。

だが、折しも米国のトランプ大統領は行き過ぎたグローバリズムで荒廃した米国の庶民を救うために米国内のそして世界中のグローバリストと戦い、グローバリストたちが構築して来た世界の仕組みを再構築しようとしている。この傾向は米国以外も類似している。時代はグローバリズムから新しいナショナリズムに移っている。日本の、そして世界のエリート達は新しいナショナリズムの時代がどういうものか理解できず不安に陥っている様に見える。日本人は、江戸時代の経験を基に新しいナショナリズムの世界像を描くことができるとは思わないか?


資料;https://r.nikkei.com/article/DGXKZO31338680U8A600C1TCR000
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