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KenConsultingの本多謙が政治/経済記事を独自の視点で評論します

「監視資本主義」の衝撃

「AI独裁ばらまく中国」と題するブログで筆者は中国発の監視「システムを使えば悪の国家は個人の行動や思想を逐一把握し自分の都合で逮捕し裁判にかけ、場合によっては死刑にすることもできる。」「逆に、善の国家や企業はこのシステムを使って国民の不満や要求を詳細に吸い上げ、それを解決する施策を迅速に打てることになる。 」と述べた。だが、日本や米国のような“善の国家”であっても“AI付きの監視システム”によってその資本主義システムは変容する危険性がある。

John Thornhill氏(英フィナンシャル・タイムズ紙コメンテーター)は「『監視資本主義』の衝撃」というコラムを19/2/14付日経新聞6面に載せている 。彼の論説の監視カメラを多用した監視システムにあるのではなくて、監視カメラからのビデオや映像、その他様々なセンサー、クレジットカード等の購買履歴、インターネットのアクセス履歴等のビッグデータからAIを使ってどの様な情報を引き出すかの論理についてだ。このプロセスには当然“価値観”が関わってくる。“価値観”は“倫理(morals, morality, ethics)”と言い換えても良い。

これは有名な事例だが、ある若い女性の購買履歴を調べたら、この女性は妊娠初期であり、その為の商品を購入する確率が高いと判断され、業者はそのカタログをその女性に送ったことがある。その女性の父親は自分の娘がよもや妊娠する様なことをしているとは夢にも思わずその業者を非難し、娘も同調した。だが、その娘はその後自分が妊娠していたことに気付いたのだった。これは個人のトラブルであってどちらかというと平和な例だが、もし対象者が成年の男性で政治活動をしていたなら、彼に対して次の選挙で特定の党に投票するよう誘導したり、テロを実行しそうなので逮捕したり、特定の商品や思想傾向の本を買う様に誘導したりできる。

Google NWオフィス
グーグルのニューヨークオフィス(出典;ロイター、2019/2/14付日経新聞)

「米グーグル、米フェイスブック、中国のアリババ集団、同騰訊控股(テンセント)などの企業は、消費者を"監視"して様々なデータを収集・分析し、それを"資源"にかつてない規模で効果的に人の行動を先読みすることで稼ぐ、新しい形の資本主義を開きつつある。」とショシャナ・ズボフ氏(米ハーバード・ビジネス・スクール名誉教授)は“監視資本主義”の危険性を指摘している。「IT各社がいかに資本主義のルールを書き換えつつあり、権力構造をも変えつつあるかという指摘だ。」 

これは「今後のカネと権力を誰が握るのかという」闘いでもある。例えば、乗用車を買いそうな見込み客をネットの行動から特定し、自社の製品を購入する様なタイミングでメッセージと購入条件をその見込み客に送ればその商品のメーカーは市場で勝てる。この様な誘導はより多く利用者を獲得し、より多様なサービスをネットで提供する事業者が、より優先的な立場を獲得することになる。一旦その地位を得ればそれを覆すのは困難になる。事実、アマゾンやグーグルに日本人の生活は大きく依存し、行動のスタイルは変化しつつある。

ズボフ氏は「この監視資本主義はやがて『(人間の個々の行動や経験を予測、マネタイズするためだけの材料にしてしまい、個人ではもはやそれにあらがうことができなくなる)インストロメンタリアニズム(instrumentarianism)」という新たな恐るべき権力形態に変貌する危険がある」と言い、「この邪悪な収益化装置」を無力化するには「政府による規制、市場における競争、個々人」がネットの利用方法を工夫する必要がある、と言う。この3点の詳細については長くなるので日経新聞をご覧頂きたい。「資本主義のプログラムを育んでいくためのデータを提供しているのは、結局、我々なのだということを忘れてはならない。」とズボフ氏は論を閉じている。

これらに関して日本でも既に色々議論があるようだ。筆者はこれに関して3点を挙げたい。

第1に、ズボフ氏が「この形態への変化は中国で既に最も目に見える形で始まっている」という様に我々は文明の岐路に立っていることを十分に理解することだ。中国がウイグルやチベットで展開しているAI監視システムがヒトラー以上の人権弾圧や民族浄化を可能にしていることをわれわれは認識すべきだし、こうした中国の非人道的な価値観に対して否定の声をあげるべきだ。

第2に、民間企業は倒産しない為に、収益を上げる為にビッグデータを不当な方法を使ってしまうことがある為に発生する問題に対処しなければならない。ビッグデータをどう使うべきかの議論は日本では個別的で散漫な感じが否めない。企業が収益をあげるためにビッグデータをどう使い、それを官僚が社会システムとして妥当かどうかを個別に判断する程度ではないか?我々はネットに関する倫理をもっと体系的に考える必要があろう。我々はどういう倫理を基礎にした社会を創ろうとするか、宗教者、哲学者を含めた議論をすべきだ。

第3に、これらの議論を通して得られた倫理体系を実現するGAFAのようなデータ産業複合体が育つ環境を政府が整備するよう求めたい。家電などの「ものずくり」産業で繁栄した日本の産業はまだインターネット産業時代に適応していない。例えばスマートスピーカの仕様についてあれこれ批評して喜んでいるのはお寒い限りだ。スマートスピーカの背後にあるネットとサービスとそれを支えるAIが重要であってスマートスピーカなどある程度の性能を満たせばどうでもよいのだ。インターネット産業時代は情報が全てなのだ。米国はそれを理解しGAFAを産業として育て、中国はそれを理解しGAFAの相似形を作った。日本は追い付かなければならない。

資料;https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41217590T10C19A2TCR000/

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AI独裁ばらまく中国 拡販される監視システム

中国の監視カメラシステムの危険性を指摘したコラムが19/6/8付日経新聞9面に載った。日経新聞コメンテーター 秋田浩之氏のコラムだ。秋田氏は中国が「街のすみずみに監視カメラを置き、顔認証で特定の個人を追いかけ」、「クレジットカードや交通違反の履歴、国への貢献」などの個人の行動履歴を「人工知能(AI)を使」って処理し、「一人ひとりに点数を付け、管理する」「AI独裁ともいえる体制」を開発し、それを世界に広めつつあることに警告を発している。

このコラムは中国べったりだった日経新聞の論調にようやく変化が現われたという感じだ。だが、日経新聞ならもっと踏み込んだ評論があって良いと思う。それは資本主義や共産主義の基礎になっている思想の問題だ。どんな経済行動にもその基礎となる思想がある。我々には当たり前過ぎて当然のことも国が違えば当然ではなくなる。

ITシステムを駆使した中国の監視システムは強権的な国や旧共産主義/社会主義国にとって理想的な権力基盤になる。このシステムを使えば悪の国家は個人の行動や思想を逐一把握し、自分の都合で逮捕し裁判にかけ、場合によっては死刑にすることもできる。文化大革命時代にこのシステムがあれば殺された者の数は数千万では済まなかっただろう。逆に、善の国家や企業はこのシステムを使って国民の問題や要求を詳細に吸い上げ、それを解決する施策を迅速に打てることになる。

中国の監視システム
出典;日経新聞 2019/6/8付

秋田氏の論旨は以下の通りだ。

一帯一路による「目に見えるインフラ整備よりも、中国によるAI監視システムの拡散のほうが、世界への影響は深刻だ。中国が港や鉄道をつくったからといって、その国の民主主義が後退するとは限らない。しかし、民主的といえない国々に高度な監視システムが渡れば、さらに強権政治に染まってしまう恐れがある。」「もう一つ気がかりなのは、中国がハード面だけでなく、法体系というソフト面でも、デジタル独裁のノウハウを拡散していることだ。そのひな型が2017年6月、中国が制定したインターネット安全法である。」これを使えば「中国内の外国企業も『国家の安全』を理由に情報の開示を迫られ、拒めば処罰されかねない。」これに対する日米欧豪の対処方は2つあって、第1は「中国の監視システムに依存するリスクについて、各国に説明していくこと」であり、第2は「日米豪や欧州連合(EU)が歩調をそろえ、デジタル空間の国際ルールづくりを急ぐこと」だ。

秋山氏の提案は残念ながら日米欧豪他数か国にしか通用しないだろう。何故なら、これらの国にとって言葉による合意(契約書などの文言)は絶対の正義であって契約者はその文言通りに行動しなければならないが、中国の文化圏では言葉による合意は建前でしかなく、自分の本来の野望を隠して相手を騙すプロセスに過ぎない。兵は詭計だと孫子も言っている。この様な相手と平和な関係を維持するには相手を凌ぐ軍事力と経済力を背景に交渉し、契約し、契約を守らせることしかない。

だが、この中国発監視システムに関連する警鐘は19/2/14付日経新聞6面のコラム「『監視資本主義」の衝撃」でFinancial TimesのJohn Thornhill氏が既に述べている。これは発展する科学技術が資本主義の定義をどう変化させるか、という問題だ。これを別稿で紹介したい。


資料; https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45830760X00C19A6TCR000/

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「米『対中100年戦争』の愚」を排す

今起こっている米中戦争を愚かだと言うコラムをMartin Wolf氏(英フィナンシャル・タイムズのコラムニスト)が2019年6月7日の日経新聞朝刊6面に掲載している。題名は「米『対中100年戦争』の愚」だ。これを読んだ感想は、これは①中国を公平に見ていないな、と②中国のプロパガンダは排さねばなるまい、ということだった。詳しく説明したい。

Wolf氏は英国人だから基本的に米国に対して冷笑的だし、第2次世界大戦後の欧州の破壊と混乱の中を苦労して英国に移民した父親の息子として、戦後米国が構築した自由な世界経済システムの中で育ったから、そのシステムを破壊する様な変化には拒否反応を示す様だ。だから、米国が過去30年に亘って築いてきた自由な世界資本主義システムと米国資本の投資を利用して経済成長して来た優等生の中国を擁護することになるのだろう。(Wolf氏のコラムは過去に何度も日経新聞に掲載され、筆者も何度か論評したことがあるから、過去記事を参照されるとよい。)

米中対決


それに、米国憎しの余り中国に有利で米国に不利になる状況しか提示していない。例えば「今年のビルダーバーグ会議」の結論は、“米国はロシアをやっつけ足りなかったが、「ついに敵対するに値する相手が現れた」”というものであり、その「狙いは米国の覇権の維持」であり、「その手段は、中国を支配するか、中国との関係をすべて断つかだ。」といった具合だ。なぜ彼は「中国に騙された。このままだと中国が世界を支配してしまう」という米国の危機感は理解しないで、ウイグル、チベット、満州、内モンゴルでの民族浄化、南沙諸島の軍事基地化、日本の尖閣諸島、弱小国を借金漬けにして自分の奴隷にする一帯一路外交に触れないのだろうか?

Wolf氏は中国が、米国が構築したWTOなどの世界経済の枠組みの“よい子“として振舞って来たのであり、米国の『力のある国が何が正しいかを決める』という対中交渉は間違いであり、多少の誤解や逸脱があっても「丹念に話し合えば解決できるかもしれない」と言う。だが、米国は中国のその場しのぎの甘言を真に受けて30年近く中国を支援し、豊かになれば国際社会の良きメンバーになるだろうと期待していたのが裏切られたと思っている。

中国は自分の真の目的を隠してその場限りの嘘を連ねる。例えば南沙諸島に人工島を作り始めた時中国は世界に、「小さな観測基地を作るだけ」と言い、次に「人が済める施設を作るので武器は持ち込まない」と言い、最後に「軍事基地を作るのは中国の当然の権利だ」と言い、戦闘機や爆撃機が離発着できる様にした。これだけでも中国の言う事が信用できないことが分かる。こんな国と協議して契約して何の意味があるのだろうか?

習近平の求めているのは「偉大な中華民族の復興」であり、アヘン戦争前の中国の覇権と名誉を取り戻すことなのだが、それは西欧や日本を含む全世界が中国に朝貢するという冊封体制であり、その実現のために軍事力を積極的に使う、ということだ。米国は中国に共産主義政権を建てる為に様々な工作をした。先ず、国民党政権を支援して日本軍と戦わせ、日本に戦争を仕掛けて敗退させ、国民党への支援を止めて台湾に追い遣り、鄧小平を支援して中国を開国させ、投資して中国を自国の製造基地にしようとした。米国にとって中国は金も時間もかかった作品なのだ。だが、習近平は米国を凌いで世界の覇権を獲ろうとした。これが米国にとって許容できないことは確かだ。例えば、世界の5Gの通信技術と市場を握れば世界の軍事システムと経済システムと消費者のプライバシーを手中にできる。中国は西側から盗んだ技術でそういうシステムを既に完成し、ウイグルやチベット人の行動を逐一監視し暴力を使って彼らを従わせている。チベットの僧侶達が絶望のあまり自殺し、それが続いて久しい。

Wolf氏は米国務省のキロン・スキナー政策企画局長が「中国政府との対立は『まったく異なる文明、異なるイデオロギーとの戦いであり、米国が過去に経験したことのない戦いだ』」と述べたことに危機感を示す。確かに、スキナー氏は日本のことを忘れているが、「偉大なゲルマン民族の復興」を掲げて第二次世界大戦を起こしたドイツも忘れている。“忘れている”と言うよりこの2国は“既に米国と緊密な軍事同盟国になったので言わなくても良い”の方が当たっている。中国は「遅れて来た青年」なのかも知れない。

Wolf氏は「中国のイデオロギーは」「自由民主主義の脅威になるようなものではない。」と言うが、これは間違い。ウイグルやチベットの惨状を全く知らない訳でもなかろうに。中国のイデオロギーとは共産主義に基づく冊封体制のことだから、「競争と協調の両方を取り入れていくことが、これからの進むべき正しい道だ。」と言っても虚しく聞こえるだけだ。

「現在起きていることの悲劇は、トランプ政権が米中という大国同士の戦いを始めると同時に、同盟諸国を攻撃し、米国が主導して築いてきた戦後の体制を破壊していることだ。」と言うのも間違い。現在米中摩擦の主役は米国議会であり、トランプはその実行機関だ。グローバリストが中国はじめ世界に投資している間に米国民はすっかり貧乏になり、米国内の社会資本は老朽化し、米国はその負担に耐えられなくなっているので大盤振舞いを中盤振舞いにしようとしているだけだ。

つまるところMartin Wolf氏は不勉強なだけなのか、中国の利益の為に働いている多くの白人の一人なのか、どちらかだろう。

この様な国際情勢で日本はどうすべきか?日本の歴史が中国やロシア等の大陸の大国から独立を守る歴史だったことは白村江の戦い以来の歴史を顧みれば分かる。中国からの攻略から日本を守るには米国との同盟が不可欠だ。日本の産業界は中国のプロパガンダに惑わされず中国への投資を損切りし、日本人社員を本国に戻し、米国と組んで第2の中国を他に作るべきだ。

資料;https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45771590W9A600C1TCR000/

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令和時代、日本の製造業が取るべき道は?

「製造業、苦闘の先に勝機も」という題で、令和時代の日本の製造業の進むべき方向を、東京大学教授藤本隆宏氏が2019年1月9日付の日経新聞経済教室欄「平成の終わりに」シリーズ第4回で示唆している。

とはいっても具体的な戦略を提示している訳ではなく、ここに気を付ければ生き残れるよ、程度なのだが。だがこのコラムの白眉は昭和、平成に至る日本の製造業の環境と履歴を図式的に実に分かり易く説明していることだ。多くの人が熟読することをお薦めする。

筆者としては、見出しの「米中共に頼る補完技術を」やポイントとして挙げている「米中恐竜企業の間で生きる哺乳類戦略を」には不満であり、どうして日本が世界をリードできる方向性を示せないのだろうか、と思う。それを説明したい。

コラム子は「日本は昭和の戦後期つまり約40年の冷戦期に経済が成長した国である。平成は冷戦終結とともに始まったポスト冷戦期であり、バブル崩壊後の日本経済停滞の時代だった。」と戦後の70年間を総括し、平成の停滞の原因を2つ挙げている。その筆者なりの表現は「低賃金国の参入」と「デジタル・ネット化」だ。

冷戦期、日本はアナログ環境の産業と技術のすり合わせで製造した個別製品で成功し、そのGDPは世界第2位に達した。例えば日本の家電は欧米の競合相手を駆遂したのだった。米国はこれに深刻な危機感を抱き、産業構造の抜本的な改革を行った。1つは中国などの低開発国を開国し、投資して製造能力を与え、安価な労働力で工業製品を作らせ、日本に対抗することであり、もう1つは産業技術の基盤をアナログからデジタルの移して日本が製造できない製品を作ることだった。インテルが一旦は日本の為に倒産しかけCPUに特化することで繁栄を取り返したことを覚えている人も多いだろう。また、米国は終身雇用制度を捨て、必要な労働力を柔軟に利用できるように社会システムを改めた。IBMが終身雇用を捨てたのは1992年(平成2年)ころだった。

更に、米国は政治力を駆使し、1985年にプラザ合意で超円高の環境を実現し、日本の製造業を苦境に追い込んだ。米国は単に製造技術という狭い領域だけでなく、社会の仕組みをごっそり変え、政治力などの力を全て動員して米国の覇権を日本から護ったと言える。日本人は覇権を護る為なら身を切ることも厭わないアメリカ人のダイナミズムを理解しているだろうか?コラム子は「平成期に入ると、冷戦終結による低賃金人口大国・中国の世界市場参入、デジタル情報革命による家電などの設計比較優位の喪失、さらに複合不況、円高継続もあり、貿易財製造業は苦難の時代が続いた。」と“台風が来て大変でした”みたいな書き方をしているが、その遠因は日本の世界での成功であることは覚えておいた方が良い。

コラム子は平成の30年を初期、中期、後期に分けて説明している。初期は日本が中国の低賃金工場システムに負けた時代、中期は中国の賃金高騰や生産性改善により競争力を取り戻して行く時代、後期はこの傾向が更に強くなり「国内の優良現場はグローバルコスト競争の長いトンネルを抜け、多くが存続可能となった」時代だ。

更に「平成後期の10年代は、スマートフォン(スマホ)、クラウド、人工知能(AI)などデジタル革命が加速化した時代でもあった。」と言い、日本の産業が置かれた状況を“外国勢が上空、低空で優位を占めているのに日本勢は地上に取り残されている”という図式で説明している。上空とはGAFAに代表されるネットとサービスの産業であり、IoTやインダストリー4.0等で上空層の産業の手足や感覚器官になる産業のことだ。

デジタル化の三層構造
出典;日本経済新聞2019年1月9日朝刊23面

そして「日本製造業はグローバル競争の危機は脱しつつあるが、デジタル化では出遅れ、上空で米国勢に制空権を握られ、低空でもドイツ勢の後塵を拝した。地上でもドイツ勢が支援する中国の自動化工場が続々新設され、これらの閉塞感から再び日本製造業悲観論が出ている。」と現状を纏め、日本の製造業の進むべき道として、米国と中国の存在感はとても大きいので、「米中共に頼る補完技術」を充実させ、“米中という恐竜の狭間で哺乳類が生き残れた様な弱者の戦略を“とるべきだと勧める。

だが、日本人は中国が米国と同等の恐竜だと考えて良いのだろうか?日本人は中国が5000年の歴史を持ち古代に日本に文明を持ち込んだ理想の国という幻想が抜き難くあり、中国もそれを利用して自国のイメージを高めている。だが現実は違う。隋や唐が滅び破壊と殺戮の歴史の後に残ったのは日本より遥かに劣り、謀略に長けただけの共産主義国だ。ソ連が崩壊した後そのGDPは発表値の20分の1だったことを顧みれば、中国のGDPは日本の数分の一だと見做してよい。であれば中国を恐竜と見做すのは間違いになる。

米国にとって誤算だったのは、中国が賃金を高騰させて製品の国際競争力を弱めたことと、米国が中心になって構築したグローバルな経済システムや研究開発システムにタダ乗りし、19世紀に失われた覇権を取り戻そうと野心を剥き出しにしたことだ。この米中間の軋轢をコラム子は「米中技術摩擦」と表現しているが、このコラムが載った2019年1月以来事態は急展開し、「米中戦争」と呼ぶ状態になっている。

日本人は中国が且つてヒトラーやユダヤ人に対して行った以上の民族浄化をモンゴルや満州で行い、今はチベットやウイグルで行い、10億の農村戸籍の自国民を奴隷の様に扱い、生体臓器移植を行っていることを知らない訳ではないだろう。米国はこれらの問題を経済問題と同レベルで解決すべく中国を作り変えようとしている。これが「米中戦争」の全体図であり、「米中技術摩擦」はその極く一部でしかない。しかし「米中技術摩擦」の将来を語るには「米中戦争」全体を知らなければならない。

この「米中戦争」の結果、米国が勝ち中国は破れ、中国は技術の覇権を獲ることなく低開発国に甘んじることになるだろう。であれば日本の戦略は「米中恐竜企業の間で生きる哺乳類戦略を」でも「米中共に頼る補完技術を」でもなく、「米国と共に中国や東アジアのイニシアティブを取れる技術と産業政策を」であるべきだ。

日本は天安門事件の後孤立した中国に天皇を送って中国の経済発展に貢献した。だが中国は同時期に反日を強め日本を蚕食する動きを止めない。日本の経済界はこれらの不都合な事実を見ない振りをし、中国に投資を続けている。あまつさえ“中国のハイテク産業に協力しそれを補完する勧業を育てるべきだ”という言説の裏には中国に対する幻想があるのだろう。

中国の一帯一路に順応しようとした国がどういう末路を辿ったか、回答は既に出ている。日本をそういう国、ウイグルやチベットの様にしたくなければ、取るべき進路は明らかだ。日本は日本のアナログ産業の攻勢に対抗しようとして産業構造そのものを変革させた米国のダイナミズムを見習うべきだ。

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「『知性の断片化』の危機回避を」について

「『知性の断片化』の危機回避を」というコラムを猪木武徳(いのき・たけのり)氏が日経新聞の経済教室欄に2019年1月4日付で載せている。

このコラムは「経済教室」の「平成の終わりに」シリーズの第1弾なので猪木氏は平成元年(1989年)のマルタ会談以来30年間の日本経済が「世界の相場と比べて不思議な動きを示してきた」ことを挙げている。その特徴は①人口が、02年から17年マイナスの変化率であること、②実質GDPが02~17年の15年間で15%しか成長していないこと、③消費者物価指数が02年から17年の15年間で3%しか上昇しなかった点であり、これらは主要国と比較して「特異なパフォーマンスを示して」いることを挙げている。
そしてこの「不思議な現象を経済学が十分に」は説明できていないのだから、これらを説明するには「日本国民の精神の内的状況に立ち入って見る必要があ」り、又「歴史的な視点からも日本経済の現状を把握する必要がある。」何故なら「経済活動の基本をなす生産も消費も基本的には企業や家計の予想と心理で動く」からだと述べている。

平成人工等の統計

続いて猪木氏はデモクラシーと急速な技術革新が社会に住む人間の行動様式をどの様に変えて来たかを述べ、最後に「デモクラシーと技術革新が生み出した心の空隙を何で満たすのか、多数の支配の味気なさや不安定性をいかに避けるのか、こう問い直すことがいま求められている。」とコラムを閉じている。筆者の読後感は「ちょっと違うんじゃないか?」だ。それを説明しよう。

先ず、猪木氏はこのコラムで平成の30年の結果起こった3つの問題点を挙げたが、①は平成の30年間、②と③は後半の15年間の現象だ。平成30年の中間で社会を最も大きく変えたのはインターネット革命の結果で、②と③はその結果だ。インターネットは日本に1995年ころ紹介され、2000年から日本社会に浸透し出し、日本人の行動様式を大きく変えた。NTTドコモのi-modeサービスが発表されたのは1999年だ。猪木氏はこの事実に気が付いていただろうか?

次に、猪木氏は日本の社会科学系のインテリらしく、「歴史的な視点」として18世紀後半からの西欧の民主主義と科学技術がもたらすものを説明し、それに対する解決策としてアップルのS.ジョブスが実現した「フェース・ツー・フェースの出会いを目的とした」職場空間を紹介している。「裸の利己主義」なんて“greedy”を肯定する西洋のもので、日本は本来「思いやり」の文化じゃなかったのかと思うし、「出会いを目的とした」職場環境がS.ジョブスの功績なら日本企業の大部屋式オフィスや本多技研の「わいがや」主義はどうなんだ、と突っ込みを入れたくなる。日本の文系学者は西洋の学術成果を日本に当て嵌めようとして失敗する傾向があるし、科学技術を観念でしか理解しないので判断を誤まる。

猪木氏は民主主義と科学技術が「人々をバラバラにして社会の連携を弱める」と批判しているが、民主主義を機能させるためには多くの階層で議論や利益の調整が必要であり、多数決で決まった事には全員が従うことが原則だから、民主主義が「人々をバラバラにして社会の連携を弱める」というのは当たらない。むしろ、人々を階級間の闘争という一つの理論だけで理解しようとする態度が問題なのではないか?それに、西欧型民主主義は明治政府が西欧列強に対抗する為に便宜的に日本に導入した制度であって、日本に本格的に定着したのは大東亜戦争以降の70年間に過ぎない、民主主義をもって日本人の文化(行動の性向)を説明するのは無理がある。科学技術の発達にしても、それはそもそも人間を肉体的労働の苦痛から解放し、より人間的な生活を人々に与えようとするものだったはずだ。左翼思想家はそれを資本家が労働者を搾取する手段と言うだろうが。

猪木氏は「日本では地域社会という身近なところから、自分たちで物事を決めていくという精神は十分成熟しているのだろうか。」と述べ、日本を西洋より遅れていると貶しているが、では、例えば、江戸百万の住民を管理した警官に相当する公務員がたった50人だったという事実をどう説明するのだろうか?これは町内ごとの自治が機能していた証拠であって、自分たちで物事を決めていくという精神は十分に成熟していたと言えないだろうか?幕藩体制下の各藩が半独立国だったことを猪木氏は知らないのだろうか?

生活全般が「宴会型」から「独酌型」へと変わってしまったという指摘にも注釈が必要だ。この変化は過去10数年程度のもので、平成の30年間のものではないし、それはi-modeが普及した後のインターネット時代のものだ。自室に籠ってパソコンやスマホを一人いじっている者の姿は「独酌型」に見えるかもしれないが、その者はSNSでネットの向こうの誰かと情報を交換していたりゲームしていたりするのだ。ネットで起こる「炎上」は「独酌型」では発生し得ない。「高層マンションに住めば『向こう三軒両隣』という親近感は生まれにくい」のも高層マンションが普及したここ10年程度の傾向で、なお且つマンションには管理組合の設置が義務付けられていて、マンション住人は緩い形だが近所付き合いをしなければならない。

猪木氏は論を纏めるにあたって「改めて強く意識すべきは、科学や技術という個別の分野での革新と進歩が、全体としての人類の進歩を必ずしも意味しないということだ。ジグソーパズルの一部を精緻に仕上げても、全体がいかなる絵柄になるのか知ろうとしない限り、われわれは真に進歩したとは言い難い。一つの時代がその前の時代より進歩しているという19世紀的な進歩史観の呪縛から、われわれは自由にならなければならない。先に指摘した日本経済の不思議な現象を経済学が十分に説明できないという問題も、こうした『知性の断片化』と無関係ではなかろう。」と書いている。これについてコメントしたい。

明治以来日本の学者は西欧の学問を学び、それを西洋の知性を日本に当て嵌めようとして来た。日本は西欧とは異なる歴史と形而上学を持つから当然はみ出す部分が出る。先に指摘した「日本経済の不思議な現象を経済学が十分に説明できないという問題」はこの様なはみ出し部分があるということなのだ。そして猪木氏はその故にそれを説明できていない。「知性の断片化」もマックス・ウエーバー以来のそうした言葉だ。“西欧の”「19世紀的な進歩史観の呪縛から」「自由にならなければならない」のは猪木氏のような日本のインテリだ。

日本の産業は西欧の先進技術を消化して自己のものにし、それを利用した産業を創ることに追われてきた。IT産業においては特にそうだ。新技術が次から次に欧米に持ち込まれ、それに個別に対応して全体像を見失った姿を猪木氏は「ジグソーパズルの一部を精緻に仕上げても、全体がいかなる絵柄になるのか知ろうとしない限り、われわれは真に進歩したとは言い難い。」と述べているが、筆者としては「全体をどの様な絵柄にするかのビジョンを自ら作って世界に対してイニシアティブを発揮しない限り、われわれはいつまで経っても追随者のままだ。」と言い換えたい。例えばIBMが未来の社会と自社のビジネスとの関係をどこまで精緻に広範に描いているか知っている日本人はいるだろうか?

最後に、猪木氏が挙げた3つのポイントについてコメントしたい。
1. 平成日本の停滞の背景に日本社会の気質;背景にあるのは「日本人の気質」ではなくて「世界の覇権を守ろうとする米国の対日政策」だろう。ちなみに、中曽根康弘総理の誕生が1982年でプラザ合意が1985年だ。
2. 民主政治と技術革新は社会の連携を弱める;筆者は替りに「リベラリズムの罪」を挙げたい。リベラリズムは失敗した共産主義、社会主義が変態したもの。人の社会を個人とその機能に分解し無機的な社会を作ろうとする。その為産む性としての女性の負担が極端に増え、出生率が低下した。
3. 地方自治や対面の付き合いが重要な役割;インターネットを通じて時間、距離の制限を超えて人々が付き合っているのを猪木氏は理解していないに違いない。地方自治体はIT化を加速し業務処理効率を更に上げるべきだ。

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