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KenConsultingの本多謙が政治/経済記事を独自の視点で評論します

米の企業制裁の威力と問題点

武器としての経済制裁を日本はもっと研究すべきだ

日本経済新聞2018年5月9日朝刊のDeep Insight欄で「米の企業制裁の威力と問題点」というThe Economistの記事が載っている。(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO30208200Y8A500C1TCR000/)これは米国が経済制裁制裁と国家間の紛争解決手段、兵器としてどう使えるか、どう使うかを学習した過程を簡潔に纏めていて興味深いので紹介したい。原子爆弾が兵器として威嚇以外には使えず、空母や戦闘機が時代遅れになり、戦闘の主体がミサイルとサイバー空間に移行している現在でも、経済制裁が兵器なることを理解している人は日本ではまだまだ少数ではないか?

第8代米大統領ウィルソンは1919年国際的な経済制裁は「音もなく破滅をもたらす措置だ」と表現し、9.11同時テロで「米政府は様々な資金の流れが武器になることに気付」02~08年、様々なケーススタディーで効果を確かめ、今回の北朝鮮への経済制裁や中国に対する関税障壁措置につながった、という。これに関して記事は3つの懸念を挙げている。それは1.「いかなる大企業もこの制裁の標的になり得る」こと、2.「政治的意図に基づいて乱用されたり、狙いが外れて失敗したりする可能性がある」こと、3.「各国はいずれ米国の制裁を逃れる方法を見付ける」のであり、それから逃れるのに必要なのは半導体、グローバルな通貨と決済システム、格付け機関、商取引所、大量の国内投資家、海運会社だ、である。記事は最後を「中国は今、これら全てを手に入れようと画策中だ。米国は新型兵器を使うことで、その威力を誇示できても、同時にその相対的な衰退をも加速させることになるだろう。」と英国人らしく皮肉で結んでいる。

日米中の力関係をこの点から整理してみたい。今後数十年の国際環境が、米国が中国をどう手懐けるかになっているからだ。

この英国のコラム子は重要な点を見落としている。国力の源泉は科学技術であり、製造業の繁栄だということだ。英国はそれを失って久しい。金融業とサービス業に傾斜し過ぎた米国はそれに気付き、製造業を取り戻そうとして日本に頼ろうとしているので日本を無下にはできない。更に、日本は「半導体、グローバルな通貨と決済システム、格付け機関、商取引所、大量の国内投資家、海運会社」全てを持っている。つまり日本に対する経済制裁はし難い状態だ。一方中国はこれらを未だ手に入れていないので米国の経済制裁が効く状態だ。更に、中国の製造業は基盤技術を日米欧に頼っているので技術が輸入できなければ製品は競争力を急速に失う。

思い起こせば日本が米国を攻撃したのもハル・ノートで石油を断たれようとしたからであり、経済では対抗できないので短期決戦を狙ってハワイの太平洋艦隊を襲撃したが、ずるずると4年も戦争し、体力を消耗して負けてしまった。日本国憲法により日本は軍隊を保持しないことになっており、自衛隊の正当性をどう確保するかが大きな議論になっているが、経済制裁してはいけないとは言っていない。軍備を背景としない国際交渉は無力だというが、経済制裁を背景にする国際交渉は成立するのではないか?軍事力は当面米国に担ってもらえばよい。

この様に考えれば東芝が半導体を売却したのは国家的な損失だと言える。事は一企業の算盤勘定ではなく日本列島に住む国民の安全保証にも関わることなのだ。経済界にその認識はあったのだろうか?


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米の変質、金権政治の果て

リベラルがなぜトランプ氏を罵るのか

Martin Wolf

「米の変質、金権政治の果て」という題のコラムが2018年7月19日の日経新聞に載っている。コラム子はFINANCIAL TIMESのチーフ・エコノミクス・コメンテーター マーティン・ウルフ氏だ。ウルフ氏はこれまでもリベラルの立場からトランプ大統領を口を極めて罵っている。トランプのせいで、かつて光り輝いていたアメリカは失われ、それはもう戻らない、という様に、だ。

日本のマスコミのトランプ大統領に対する論調は米国のリベラルなマスコミのコピーに近い。日経新聞がウルフ氏のコラムを掲載していることからもそれが分かる。しかし日本人にとってアメリカは自分の好きな様に日本を振り回そうとする侵入者でしかないし、トランプ大統領は日本に対して強権的な中国を抑え込もうとしてくれているので有難い存在なのであって、ウルフ氏の見方とは相容れない。リベラルがなぜトランプ氏を罵るのかを考えてみたい。

ウルフ氏の父親は米国が「世界の人にとって自由と繁栄を保証してくれる存在」と確信し、「第2次大戦前にオーストリアから難民として英国に渡」り、ウルフ氏も「その傾向を受け継いだ。」 欧州で窮乏している一般市民にとって、アメリカにさえ行けば自由で豊かな生活ができる夢の国だった。この感覚は日本人には解りにくいだろうが、「アメリカ・アメリカ」という映画を観ればそれが良くわかる。この映画は「エデンの東」のエリア・カザンが脚本化、製作・演出し1964年に公開された。映画は1896年、トルコで弾圧されているギリシャ人の貧しい青年が自由で豊かなアメリカの話しを聞き、アメリカに移住する決心をし、詐欺や重労働に耐えたあげく、何人かの好意に助けられてアメリカの街で靴磨きをするまでを描いている。見終わって深く考えさせる映画だ。ウルフ氏の父親がこの映画の主人公に近かっただろうことは推察できる。

ウルフ氏は「米国は民主主義のとりで」として「欧州がドイツのナチスや共産主義の独裁の手に落ちるのを救った」し、「戦後の米国の政策には4つの魅力があった。人々を引きつけるような価値観を中心に据え、その価値観を共有する同盟国に忠実で、競争に対し開かれた市場を信じ、様々なルールを制度化して市場を支えた。」と米国が築き上げてきた世界の秩序を誇っている。

それなのに、「民主主義、自由、法の支配といった米国の中核をなす価値観を敵視」するトランプ大統領が誕生したのは「米国が乗り越えられないかもしれない政治的な失敗にある」という。その“失敗”とは何か?それは共和党による「富裕層のための金権政治とポピュリズム」、「貪欲と不満につけ込む政治」であり、「富裕層が組織立った形で、利益の飽くなき追求を続けてきた」結果であり、「低所得層を文化や人種によって分断し、選挙区割りを共和党に都合よくどんどん進め、有権者による投票を難しく」したせいだとウルフ氏は言う。従って、トランプ大統領は自分を指示した貧乏な白人たちの期待には応えられないだろうとも言う。

だが、本当にそうなのか。米国は「民主主義、自由、法の支配」の宣教師として日本を含むアジア、中東の多くの国々と戦争した。米国は中東で日本の様に成功しようとしてバグダッドに侵攻した。だが、その後中東が日本の様に変化しないことを体験し、少しずつ自分の理想主義の失敗に気が付いた。米国は日本でしかこの宣教の戦いに成功しなかったと言える。だが、日本にしても「民主主義、自由、法の支配」は1000年以上前から在ったものだから、米国は日本でもこの宣教の戦いに失敗したと言って良い。つまり、米国の理想主義は世界で失敗したのだ。米国はベトナムでも失敗した。これはウルフ氏のようなリベラルにとって重大事件だ。「人々を引きつけるような価値観を中心に据え」それを世界に広める活動の正当性が成立しなくなったのだから。

そして米国がこの理想主義の戦いに邁進している間に米国の資本主義の精神は少しずつ変質し堕落して行った。金持ちは庶民からより多くの金を吸い取ってますます金持ちになり、社会を維持する基盤となる中間所得層が消滅し、多数の窮乏した貧乏人が残り、自殺者と犯罪が増えた。そして米国は世界の警察官を続ける余裕を失っていった。この傾向は民主党政権の間も進んでいたのだから、トランプを非難するのは当たらない。

トランプ氏は米国の窮乏した白人層の指示を受けて大統領に当選し、今のところ公約の実現に成功している。GDP成長率は4%を超え、失業率は2000年以来の最低水準(4.1%)に下がり、米国の雇用を奪った中国と貿易戦争に勝利して雇用を米国に戻そうとしている。もしこの傾向が続けばトランプ大統領は米国を再生した大統領として歴史に名を残すだろうし、ウルフ氏は恥ずかしい思いをするだろう。この場合、日本は米国と歩調を合わせていれば良い。もしこの傾向が進んだ場合、ウルフ氏が指摘した米国社会の所得の一極集中と社会の荒廃が更に進むことになる。

この問題を米国は解決できるだろうか。この問題をもって資本主義の終焉と言う者もいるくらいだ。ウルフ氏は「我々はかつての米国を取り戻すことができるだろうか。それは普通の人々のニーズや不安に応えるのに、もっと政治的に優れた方法を見いだすまでは難しいだろう。」とコラムを締め括っている。彼が控えめに望んでいる「もっと政治的に優れた方法」は社会主義を指すのだろう。ウルフ氏には世界で最も成功した社会主義国(ゴルバチョフ)日本を見よ、と言いたい。日本こそ米国が目指すべき社会モデルなのだ。


資料;https://www.nikkei.com/article/DGKKZO33103690Y8A710C1TCR000/  
https://movie.walkerplus.com/mv455/

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必要なのは未婚・晩婚対策だ

結婚しなくても子供を堂々と産んで育てられる社会制度を

「必要なのは未婚・晩婚対策だ」という天野 馨南子氏(あまの・かなこ ニッセイ基礎研究所)の記事が日経ビジネス2018年7月27日号に載っている。1人の女性が一生の間に産む子供の数の理論値(合計特殊出生率)が2017年に1.43と2年連続で下ったことは由々しき事態なのだが、少子化の事実認識自体が危うい状態にあり、抜本的対策が必要だという憂国の文になっている。これについてコメントしたい。

天野氏は出生率の推移を次の様に説明している。

夫婦間の子供数と合計特殊出生率の推移
夫婦間の子供数と合計特殊出生率の推移
結婚後15~19年たった夫婦は平均2.07人の子供を生み(完結出生児数)、これは人口を維持できる水準なのに対して、全女性が生む子供数の平均(合計特殊出生率)は1.43なので人工を維持できないことになる。この原因は男性、女性両方の未婚化や晩婚化だ。この点が認識されていないので待機児童対策などをいくらやっても少子化問題の解決策になっていない。

男女の生涯未婚率の推移 
男女の生涯未婚率の推移 
更に「1990年代後半あたりから『男性再婚・女性初婚』というケースが急速に増えていることだ。これは男性の未婚率上昇の時期と重なる。」「一人の男性が繰り返し結婚することが未婚男性の増加につながっている」と説明している。

「夫のみ再婚」の結婚組数の推移
夫のみ再婚
天野氏は次にその原因を、「男性は35歳を分岐点に『妊娠させる力が衰えるグループ』と『そうでないグループ』に分かれるとの研究もある。結婚形態の変化も出生率に影響している」と説明している。

ここで言えるのは、若い女性が結婚して子供を産み育てられる男性を獲り合っているという現象だ。この背景には、子供は結婚した夫婦間で生むものだ、という健全な社会通念があるが、残念なことに経済的に、そして人格的に子供を育てる適性が無い男性は常に一定数存在する。従って、

子供を産み育てたい女性の数 > 子供産み育てる母親の夫になれる男性の数

という不等式が成立し、父となれる男性を獲る競争に敗れた若い女性は齢を経てから再婚相手を獲得して結婚し、それに敗れた女性は一生涯子供を持てないまま生涯を終えるということになる。高学歴で社会で活躍して来て40歳にちかづいたころ急に母となる欲求に目覚めた女性には目ぼしい男性が残っていないので結婚して母親になるのに苦労する傾向がある。結婚相談所経営者のブログではこんな女性に何とかして夢を捨て現実を受け入れて売れ残った男性と結婚させるかの悩みが見える。

こうした状況の基になっているのが「子供は結婚した夫婦間で生むものだ」という社会通念だ。これは健全な社会通念と言うべきだろうが、もしこの条件を外すことができれば出生率は容易に上がるだろう。事実、出生率の高い国では婚外子が多い。出生率はスウェーデンでは1.88、フランスでは2.01(日本では1.46)で、婚外子の割合はスウェーデンでは54.6、フランスでは56.7(日本は2%)だ。この現象はスウェーデンではサムボ、フランスではパックス4という、同棲で生まれた子供にも結婚した夫婦から生まれた子供と同等の社会保障を与える制度が整っているからだ。

結婚はしたくないけど子供は欲しい、という女性が多いことは良く知られている。こういう女性が結婚しなくても子供を産み、それを安心して育てられる環境が必要だ。この場合、父親は既婚でも構わない様にすれば良い。つまり、既婚男性が妻以外の女性と契約し、婚姻に準ずる夫、父親としての責任と役割を果たせる社会制度があれば良い。

一方、子供を育てられない男と結婚し、暴力や浮気に苦しむ女性は多い。両親に虐待されながら「もうおねがいゆるして ゆるしてください」と書き残して衰弱死した5歳の結愛ちゃんの様な悲劇を防ぐには、夫としての適性を欠く男性との結婚に女性が縛られなくても済む制度が必要だろう。父としての適性を欠く男性との結婚生活に苦しむ女性や、母子家庭の女性や、子供は欲しいが結婚したくない女性が、好きになった、または頼りたい男性と契約してその保護が得られる制度があれば良いと思うのだがどうだろうか?結愛ちゃんの様な親としての適性を欠いている親に虐待されている児童を見たらその保護者として立候補し、親権を親から保護者に移す制度があればとも思う。子供にとって、収容施設で育てられるよりも父親と母親がいる家庭で愛されて育てられるのが一番の幸せだから。


サムボについて詳細はhttps://readyfor.jp/projects/sweden/announcements/46138
資料;https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/NBD/15/093000009/072000150/?ST=pc

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