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KenConsultingの本多謙が政治/経済記事を独自の視点で評論します

NTT、周回遅れの再編

ITサービスと通信回線サービスの両立は無理

NTTがITサービスの新統括会社を作るというニュースが日経新聞2018年8月5日の朝刊に載った。見出しは「NTT、周回遅れの再編」「ITサービスの統括新会社 データ活用、波乗れず 」とかなり手厳しい。 筆者は1980年ころからNTTとは付き合いがあり、特に1987年から1999年までNTTに電話用の局用電子交換機を販売したり、NTTとグループ・ウエアを使った新規事業を立ち上げたり、NTTの新規事業検討の委員会に入ったりした。NTTが電話電報を提供する公営企業からITサービスを提供する私営企業になるまでの変遷を見て来たので、今回の組織再編には若干の想いがある。以下、雑感を述べたい。

戦後の労働争議でNTTは国鉄(現JR)並みに紛糾した。その収拾の方策として「人事の声は天の声」という方針が残った。これは、社員は人事部が発令する異動は神の声として一切異議をとなえず従う、というもので、こうでもしなければ熾烈な労働争議が収まらなかったのだろう。だから、NTTの社員は人事部の異動通知があればそれが自分の希望と違っていても、自分に能力が無いと思っても一言も文句を言わずに従った。何故なら、NTTの社員であり続けることが最優先だったからだ。

NTT(日本電信電話)はKDD(国際電信電話)と違って日本国内の通信を市場としてきたので非常に地域密着で受け身な体質だ。市場は法律で確保されているし、日本全国津々浦々の家まで電話線を引いて電話システムを維持管理するのだから当然だ。だから、NTTにとって計画通り日本国内に電話設備を設置して維持管理するが最重要であり、営業といっても通信回線(土管)を売るだけだった。自然、社員の発想も技能もその方向に特化してゆく。

NorhternTelecom(Nortel Networks)に勤めていた1990年代に「電話交換機もコンピュータも同じ技術を使っているのに市場とメーカがはっきり分かれているのはどうしてか?という議論を社内でしたことがある。市場の環境が違うからだ、という結論になった。通信事業者はネットの構築、保守、運営が主でビジネスサイクルが10年単位だったのに対してコンピュータ(メイン・フレーム)はどんなアプリケーションを使うとどんなメリットがあるかを顧客に訴え続ける必要があり、3年程度のリースでどんどん高機能の機種に切り替えるビジネスモデルだった。 事実、当時IBMは通信事業に興味を持ち構内交換機メーカを買収したりしたが失敗していた。

ネット全体がデジタル化し、インターネットが普及して来て、NTTもこの変化に対応しようとした。世界の主要通信議場者を網羅するシームレスなメッセージングサービスを提供しようとするIBMのビジネスに筆者が従事したのはそのころだった。NTTはロータス・ノーツのホスティングやネットサービスを新規事業として立ち上げようとした。NTT-ME社長からノーツを社員に教えてやってくれと頼まれてそれなりの努力をしたが、「うちの社員は勉強と試験は得意なんだが、、、」というNTT-ME社長の一言を覚えている。頭でわかっていても、IT企業のように顧客に積極攻勢をかけるという姿勢はなかなか身に付かないものだった。

NTTとの新規事業の一応の成功を見てKDDが似たことをやろうとしたのでそのお世話をした。KDDはロータスのコンサルの描いたシナリオ通りに営業し、推奨された通りのセリフを訪問先でしゃべったのだが、IT企業がしゃべる程の迫力が自分のセリフには無いことに気付いた。某通信会社の幹部に新規インターネットサービスを提案しても、土管販売のマインドで話しが通じなかったこともある。IT企業への変身は容易なことではないのだ。

NTTドコモはiモードでモバイル通信事業の未来の姿を世界に誇示し、積極的に海外展開し、同時期にNTT Comは米国のべリオを買収したが、結局2001年度に1兆4千億円の減損処理をすることになった。この時期、筆者はKDD関係者から「NTTの海外展開は怖くない。何より人が育っていない。KDDは長年培った人脈や海外資産がある。」と聞いたことがある。NTT社員なら一度も海外勤務の経験が無くても、人事異動で行けと言われればどんな外国にも赴任しただろう。だが、どんなに優秀でも、たとえ水杯を交わして赴任しても人がいちどきにできることには限度があるのだ。

この失敗の後NTTは海外展開に慎重だったが、その間にIT産業ではGoogle, Amazon, Facebookなどが世界中にサービスを展開する一方、日本は楽天などが国内展開するに留まり、米国の趨勢から大きく遅れることになった。1999年という早い時期に開始したNTTのポータルサイトgooは日本国内でくすぶっているようだ。インターネットサービスは世界展開しないと負けてしまう時代になったのに、残念なことだ。

どうしてこうなったかを考えると、本稿で指摘した、NTTの国内通信事業者としての体質に行き着く。NTTの指導者たちは早くから問題点に気付いて対策を打ってきたが、NTTという1つの組織に通信事業とITサービスという全く性質の異なる事業を入れるのは無理がある。通信事業のビジネスサイクルは10年~20年であり、ITサービスのサイクルは2~3年で、物によっては数か月だ。

逆の意味での典型的な例がある。IBMは通信事業者専用のクラスタ型ノーツサーバを半年後に一般企業に販売開始し、筆者は面目を失ったことがある。どうしてそんな事をしたんだ?と問い詰めると、「半年も待ったんだ」との返事が来た。IBMのIT(ロータス)の経営陣は通信事業のビジネスモデルを理解できなかったのでIBMの通信事業者へのビジネスは成功しなかった。。

今回の組織編制ではNTTはITサービスの統括新会社を作るそうだ。だが、その組織再編が「人事部の神の声」を使った従来通りのやり方で行われるのであれば不安が残る。むしろ、ベゾスの様な者に全てを任せたらどうだろう。その者に人、モノ、技術、資金、人の採用全てをサポートすれば良い。アマゾンは1995年設立以来長年赤字を続けたが投資家たちは忍耐強く彼をサポートし続け今日のアマゾンを作った。ベゾス1、ベゾス2、、、間で競争させ、彼らを忍耐強くサポートし、生き残った者を残せばよい。

他方、通信回線サービスを世界に展開するビジネスモデルもあり得る。世界各国の通信回線の運営を日本から集中して行うのだ。これは日本の安全保障につながるので、長期的視点で日本政府は推進すべきだと思うのだが、これについては別の機会に述べたい。

資料;https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20180805&ng=DGKKZO33820080U8A800C1EA5000 

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揺らぐ資本主義、経済学をどう生かすか

何か頼りない日本の経済学者たち

気鋭の経済学者4人が「揺らぐ資本主義、経済学をどう生かすか」についての議論が2018年8月6日の日経新聞に載っている。これは日本経済新聞の「経済教室」欄が始まって70年になるのを記念したものだ。筆者は高校生の時から50年以上日経新聞を購読し、「経済教室」も良く読んできたのでこの議論に興味を持った。以下感想を述べたい。なお、出席者は慶応義塾大学の小林慶一郎教授、慶応義塾大学の鶴光太郎教授、東京大学の柳川範之教授、京都大学の若林直樹教授だ。

もとより、経済学は自然科学の大成功に触発されてその手法を経済に応用して始まったのだが、自然科学の様に実験室で同一の条件で実験を繰り返し、その結果を統計的優位性で評価するという訳にはゆかない。様々なモデルを作ってもそれを実社会の経済現象にどこまで適用できるかは条件付きだ。

だがしかし、日本の経済学者は戦後、傾斜生産方式という政策を掲げ、それを政府が実行して日本を再興させたという実績を持つ。だから、柳川氏が「中長期的な経済の方向性を示すという要請に、今の経済学は応えられていない。政治を含めた大きな仕組みを論じるモデルがないことが経済学の限界といえる。」と言うのはいささか不満だ。政治には人間の情念とか敵国からの工作活動とかが入り込むから、従来のモデリングの方法論では難しいかも知れないが、AIを組み込んだら少しは何とかなるかも知れない。

鶴氏 「(中略)日本はバブル崩壊からデフレや少子高齢化まで世界に共通する課題を先取りして経験している。海外の経済学者はそれらに応えてくれないので、日本の学者が取り組まないといけない。」には期待したい。このモデル化に成功すれば日本のコンサルタント会社が世界各国の政府や投資機関に高額のコンサルを提供できる。「『豊かになる前に老いてしまう』と悩んでいるのは中国だけではない。

鶴氏 「正社員の終身雇用を土台とする日本の雇用システムは維持できなくなった。(中略)『同一労働同一賃金』は方向性としては正しいが、40%近くまで高まった非正規の比率を20%程度に下げないと雇用システムは安定しないだろう。」については少々注文がある。「同一労働同一賃金」は社会主義の思想であって資本主義の思想ではない。効率的な経営をすれば同一の労働をしてもより高い賃金が得られるのが資本主義だ。利潤を適正に配分するなら問題ない。「非正規雇用の比率を20%まで下げないと雇用システムは安定しない」というのも社会主義の考えだ。この考えでは日本は世界の変化に乗り遅れる。企業は、無能な者はすぐ解雇して、市場や技術の変化に対応すべくそれなりの能力を持った者を直ぐ雇い入れなければ潰れてしまう。米国企業はこれが出来たから企業のビジネスモデルを素早く変革し世界をリードして来たのだ。例えばDELLを見よ。DELLはPCの事業モデルが市場に合わなくなったら株式を非公開にしてビジネスモデルを組み替え、求める能力に相応しい人を採用して新規事業を起こし、再び株式を公開した。日本PCメーカにこんな大胆な変身ができた企業は無い。

小林氏 「(中略)プログラミングなどのITスキルを教育の初期段階から幅広く導入することで、普通の人が技術に対応できるようにすべきだ。」これは今さらこんな事を言うか、だ。せめて20年前にこれを言って欲しかった。

小林氏 「自由な市場経済が民主主義を脅かす事態も生じている。資本主義の成果でもあるITを悪用すれば、選挙結果も操作できる。中国のように民主主義を制限したほうが、資本主義が強くなるという現象も起きている。」これは明らかな認識間違い。白髪三千丈式の中国からの統計数字しか見ていないからこんな事を言うのだろう。株式を売ろうとしたら警察がやって来て逮捕されるような国が資本主義国でないのは明らかだ。中国は資本主義の仕組みは採り入れたが人々の思考回路は清朝の時代と変わらない。だから中国で資本主義が強くなっているというのは間違い。それに、ITは資本主義の成果ではない。戦争の成果だ。ITが無くても民主主義は脅かされる。ナチス・ドイツが正規の民主主義の手続きの結果誕生したことを思い出すべきだ。

この様な認識間違いをするから司会者の「米トランプ政権が保護貿易に走るなど、資本主義が揺さぶられています。」などという頓珍漢な質問になる。揺さぶられているのは資本主義ではなく、グローバリズムであり、トランプのせいで不安になっているのは戦後グローバリズムを推進し世界経済の枠組みを作って来たネオコンなどのグローバリストたちであり、グローバリストたちのけいぁ医学を信奉して来た日本のエリートたちなのだ。

資料;https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20180806&c=DM1&ng=DGKKZO3376912003082018M11200

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ゴールドマンの資本主義

日本は戦後、米国が放棄した城を占領しただけなのだ。

ウォール街の盟主であるゴールドマン・サックスのCEOロイド・ブランクファイン氏が今年9月末に退任しデービッド・ソロモン氏に替わる。2006年の就任以来の「ブランクファイン氏の12年間」を振り返り、日経新聞社コメンテーターの梶原誠氏が「ゴールドマンの資本主義」という題で辛口の評論を2018年8月3日のDeep Insight欄に載せている。

梶原氏はこの「12年間」が「金融が幅をきかせるようになった米国型の資本主義が、社会の反撃を受けて持続不能になった時代だ」と総括する。確かに、「企業が金融の束縛を離れて『自己拡大』する」1950年代の「理想郷」は既に無く、「格差を生んだエゴ丸出しな経営者への怒りは後に噴出し、トランプ氏が16年の大統領選を制する底流をなした」。だが、金融が産業の血液であることには変わりなく、ゴールドマンの新CEOが「担う役割は、経済の持続的な成長を促す金融と経済の関係を再構築することにほかならない。」と言う。

こうした認識は梶原氏だけのものではない。トランプ大統領は海外に移転した製造業を国内に取り戻そうとし、中国などと関税戦争を仕掛けている。その帰趨は先端技術を誰が持っているかで決まる。収奪を旨とする馬賊文化の中国は日欧米の技術にただ乗りしているだけなので、中国に勝ち目は無い。

だが、この戦争は米国にとって何年もかかるだろう。なぜなら、一旦失った技術を取り戻すには教育システムを刷新し、就労者を再教育しなければならないからだ。だが米国はこれを達成するだろう。それは、「ビジネススクールの就職先は将来の産業構造を占う鏡だが、マサチューセッツ工科大(MIT)の場合、10年で金融と主従が入れ替わった」という変化から分かる。

「危機の傷痕が残る今」、かつてGMのCEOが言った様に「「ゴールドマンにとっていいことは米国にもいい」と新CEOが言えるかどうか、「多くの金融機関は」「資本主義の黒子として、米国民に報いることができるだろうか」と梶原氏は評論を終えている。

米国の金融の時代は終わったと認めるべきだろう。MITのビジネススクール卒業生の30%がITに就職するのに対して金融は10%に過ぎないことは、米国が金融の限界と弊害を認め、富と力の源泉をITに置き換えようとしている証拠だ。

だが、この様な傾向は今に始まったことではない。かつて日本が自動車輸出で米国と揉めていた1980年代、米国自動車メーカの経営者が「最近は優秀な卒業生は皆ITに行って自動車には来ない」と劣勢を嘆いていた。日本の自動車産業の隆盛は米国産業の主体が自動車産業からITに移行した為であり、日本の家電産業の隆盛も同様だ。繊維も鉄鋼もそうだ。日本は米国が放棄した城を占領しただけなのだ。であれば、日本のIT産業の現状も理解できる。GoogleやAmazonなどが日本を含む世界を席巻していて日本のIT産業の劣勢は明らかだ。

だが、自動車がIT技術の塊でありそれがネットの端末になるという変革が進行している今、自動車を含むIT産業で日本はどうすべきだろうか?トランプが中国に関税戦争を仕掛けたのは中国が5GなどのハイテクIT技術で米国を凌駕し米国の軍事産業の優位性を脅かそうとしたからでもある。米国が明け渡した産業と市場を捨てず、米国とうまく折り合いをつけてIT産業構造の核となる部分を占め、相互依存関係を深める様にすべきだろう。

米国国債の最大の所有者であり、米国が必要とする技術を持つ日本は、実は米国にとって中国以上に恐るべき相手になる可能性を秘めていることを忘れてはなるまい。
ゴールドマンの資本主義 図20180803

資料;https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20180803&ng=DGKKZO33726800S8A800C1TCR000

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米民主、台頭する新世代

世界で最も成功した社会主義国「日本」を視よ!

「米民主、台頭する新世代」と題するコラムが日経新聞2018年8月5日のFINANCIAL TIMES欄で紹介されている。著者はグローバル・ビジネス・コラムニスト ラナ・フォルーハー氏だ。副題が「『労働者』重視、経済界は注目を」で、コラム子はこれを民主党の原点回帰と呼び、それを求めている。これはクリントン+オバマ時代の民主党の主張とは確かに違う。この変化の例として「民主社会主義者」と呼ばれるオカシオコルテス氏(28歳)が6月の民主党予備選挙でペロシ院内総務を継ぐ立場にいる対抗馬を破ったことを挙げている。コルテス氏は「政治に今ほどお金が流れ込んでいることが、私たちの社会が崩壊するかどうかの危機をまねいている」と考えている。彼女は「私たちの問題は右派か左派ではない。最富裕層と貧困層の問題だ」、「民主党は、働く人々のために大望を掲げることもなく、力を尽くして戦ってもこなかった」、「この結果、その怒りが大統領選で共和党(トランプ氏)に投票する流れをつくってしまった」と述べている。

この様な主張の背景は「ゴールドマンの資本主義」と題するゴールドマン・サックスの最高経営責任者ロイド・ブランクファイン氏の退任に関する記事(日経新聞2018年8月3日のDeep Insight欄、日経新聞コメンテーターの梶原誠氏による)を読むと良くわかる。梶原氏はブランクファイン氏の「12年間はこう総括できる。金融が幅をきかせるようになった米国型の資本主義が、社会の反撃を受けて持続不能になった時代だと。」

コラム子はこうした民主社会主義者に対する不安を企業側が抱くだろうことを見越し、彼らは安全だと述べている。即ち「彼らは、米国民を消費者として見るのではなく一般市民として気に掛け、全国民に医療保険と教育と生活可能な所得を保証する国を目指す民主党に立ち戻ることを求めている。これは左派にさえ過激に思えるが、それは米国だからだ。欧州ならオカシオコルテス氏は、多くの人が市民の基本的権利と考えることを要求する、どこにでもいる社会民主主義者にすぎない。」と述べている。彼女は彼らの主張が米国の医療保険や教育システムの質を高め、米国の国力増進に有効だとも述べている。

むしろ筆者はこのコラム子に、ゴルバチョフが「世界で最も成功した社会主義国」と評した日本を米国の経済界は見本にすべきだ、と米国の経済界に主張することを薦めたい。国民皆保険も高度な教育システムも、平等で安全な社会も、日本がとっくに実現しているものだからだ。

それにしても「米国で今、創出される雇用の約65%は高卒より上の学位が必要だ。だが、米国の学生でそれだけの資格を得る者は半分しかいない。」というのは驚きだ。知的で豊かな米国市民の影は既に無い。これではトランプが移民を制限し海外に流出した工場を本国に戻してもまともな製造ができる者を育てるのに何年もかかるではないか。だが、米国の知的資産を狡猾に利用して米国を凌駕しようとする中国を今の内に潰しておかなければ米国の覇権が危ないとする考えはトランプだけでなく米国議会全体のものになっている。

思うに、米国の社会システムは優れた労働力を奴隷で賄うという古代ローマ帝国のものを現代風に焼き直したものだ。頭脳優秀な者を世界中からの移民でまかなえば良いという考え方は、かって筆者が勤務した米国AT&Tに並ぶNortel Networks社でも見られた。Bell Northern Researchやマーケティング部門では中国や中東やインド等からの頭脳明晰な移民が活躍していた。この古代ギリシャ・ローマ時代以来のグローバリズムを否定してナショナリズムに基づく国家の繁栄モデルに不安を覚えるなら、その答えは既に日本にある。

資料;https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20180802&ng=DGKKZO33667380R00C18A8TCR000
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20180803&ng=DGKKZO33726800S8A800C1TCR000

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