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KenConsultingの本多謙が政治/経済記事を独自の視点で評論します

令和時代、日本の製造業が取るべき道は?

「製造業、苦闘の先に勝機も」という題で、令和時代の日本の製造業の進むべき方向を、東京大学教授藤本隆宏氏が2019年1月9日付の日経新聞経済教室欄「平成の終わりに」シリーズ第4回で示唆している。

とはいっても具体的な戦略を提示している訳ではなく、ここに気を付ければ生き残れるよ、程度なのだが。だがこのコラムの白眉は昭和、平成に至る日本の製造業の環境と履歴を図式的に実に分かり易く説明していることだ。多くの人が熟読することをお薦めする。

筆者としては、見出しの「米中共に頼る補完技術を」やポイントとして挙げている「米中恐竜企業の間で生きる哺乳類戦略を」には不満であり、どうして日本が世界をリードできる方向性を示せないのだろうか、と思う。それを説明したい。

コラム子は「日本は昭和の戦後期つまり約40年の冷戦期に経済が成長した国である。平成は冷戦終結とともに始まったポスト冷戦期であり、バブル崩壊後の日本経済停滞の時代だった。」と戦後の70年間を総括し、平成の停滞の原因を2つ挙げている。その筆者なりの表現は「低賃金国の参入」と「デジタル・ネット化」だ。

冷戦期、日本はアナログ環境の産業と技術のすり合わせで製造した個別製品で成功し、そのGDPは世界第2位に達した。例えば日本の家電は欧米の競合相手を駆遂したのだった。米国はこれに深刻な危機感を抱き、産業構造の抜本的な改革を行った。1つは中国などの低開発国を開国し、投資して製造能力を与え、安価な労働力で工業製品を作らせ、日本に対抗することであり、もう1つは産業技術の基盤をアナログからデジタルの移して日本が製造できない製品を作ることだった。インテルが一旦は日本の為に倒産しかけCPUに特化することで繁栄を取り返したことを覚えている人も多いだろう。また、米国は終身雇用制度を捨て、必要な労働力を柔軟に利用できるように社会システムを改めた。IBMが終身雇用を捨てたのは1992年(平成2年)ころだった。

更に、米国は政治力を駆使し、1985年にプラザ合意で超円高の環境を実現し、日本の製造業を苦境に追い込んだ。米国は単に製造技術という狭い領域だけでなく、社会の仕組みをごっそり変え、政治力などの力を全て動員して米国の覇権を日本から護ったと言える。日本人は覇権を護る為なら身を切ることも厭わないアメリカ人のダイナミズムを理解しているだろうか?コラム子は「平成期に入ると、冷戦終結による低賃金人口大国・中国の世界市場参入、デジタル情報革命による家電などの設計比較優位の喪失、さらに複合不況、円高継続もあり、貿易財製造業は苦難の時代が続いた。」と“台風が来て大変でした”みたいな書き方をしているが、その遠因は日本の世界での成功であることは覚えておいた方が良い。

コラム子は平成の30年を初期、中期、後期に分けて説明している。初期は日本が中国の低賃金工場システムに負けた時代、中期は中国の賃金高騰や生産性改善により競争力を取り戻して行く時代、後期はこの傾向が更に強くなり「国内の優良現場はグローバルコスト競争の長いトンネルを抜け、多くが存続可能となった」時代だ。

更に「平成後期の10年代は、スマートフォン(スマホ)、クラウド、人工知能(AI)などデジタル革命が加速化した時代でもあった。」と言い、日本の産業が置かれた状況を“外国勢が上空、低空で優位を占めているのに日本勢は地上に取り残されている”という図式で説明している。上空とはGAFAに代表されるネットとサービスの産業であり、IoTやインダストリー4.0等で上空層の産業の手足や感覚器官になる産業のことだ。

デジタル化の三層構造
出典;日本経済新聞2019年1月9日朝刊23面

そして「日本製造業はグローバル競争の危機は脱しつつあるが、デジタル化では出遅れ、上空で米国勢に制空権を握られ、低空でもドイツ勢の後塵を拝した。地上でもドイツ勢が支援する中国の自動化工場が続々新設され、これらの閉塞感から再び日本製造業悲観論が出ている。」と現状を纏め、日本の製造業の進むべき道として、米国と中国の存在感はとても大きいので、「米中共に頼る補完技術」を充実させ、“米中という恐竜の狭間で哺乳類が生き残れた様な弱者の戦略を“とるべきだと勧める。

だが、日本人は中国が米国と同等の恐竜だと考えて良いのだろうか?日本人は中国が5000年の歴史を持ち古代に日本に文明を持ち込んだ理想の国という幻想が抜き難くあり、中国もそれを利用して自国のイメージを高めている。だが現実は違う。隋や唐が滅び破壊と殺戮の歴史の後に残ったのは日本より遥かに劣り、謀略に長けただけの共産主義国だ。ソ連が崩壊した後そのGDPは発表値の20分の1だったことを顧みれば、中国のGDPは日本の数分の一だと見做してよい。であれば中国を恐竜と見做すのは間違いになる。

米国にとって誤算だったのは、中国が賃金を高騰させて製品の国際競争力を弱めたことと、米国が中心になって構築したグローバルな経済システムや研究開発システムにタダ乗りし、19世紀に失われた覇権を取り戻そうと野心を剥き出しにしたことだ。この米中間の軋轢をコラム子は「米中技術摩擦」と表現しているが、このコラムが載った2019年1月以来事態は急展開し、「米中戦争」と呼ぶ状態になっている。

日本人は中国が且つてヒトラーやユダヤ人に対して行った以上の民族浄化をモンゴルや満州で行い、今はチベットやウイグルで行い、10億の農村戸籍の自国民を奴隷の様に扱い、生体臓器移植を行っていることを知らない訳ではないだろう。米国はこれらの問題を経済問題と同レベルで解決すべく中国を作り変えようとしている。これが「米中戦争」の全体図であり、「米中技術摩擦」はその極く一部でしかない。しかし「米中技術摩擦」の将来を語るには「米中戦争」全体を知らなければならない。

この「米中戦争」の結果、米国が勝ち中国は破れ、中国は技術の覇権を獲ることなく低開発国に甘んじることになるだろう。であれば日本の戦略は「米中恐竜企業の間で生きる哺乳類戦略を」でも「米中共に頼る補完技術を」でもなく、「米国と共に中国や東アジアのイニシアティブを取れる技術と産業政策を」であるべきだ。

日本は天安門事件の後孤立した中国に天皇を送って中国の経済発展に貢献した。だが中国は同時期に反日を強め日本を蚕食する動きを止めない。日本の経済界はこれらの不都合な事実を見ない振りをし、中国に投資を続けている。あまつさえ“中国のハイテク産業に協力しそれを補完する勧業を育てるべきだ”という言説の裏には中国に対する幻想があるのだろう。

中国の一帯一路に順応しようとした国がどういう末路を辿ったか、回答は既に出ている。日本をそういう国、ウイグルやチベットの様にしたくなければ、取るべき進路は明らかだ。日本は日本のアナログ産業の攻勢に対抗しようとして産業構造そのものを変革させた米国のダイナミズムを見習うべきだ。

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「『知性の断片化』の危機回避を」について

「『知性の断片化』の危機回避を」というコラムを猪木武徳(いのき・たけのり)氏が日経新聞の経済教室欄に2019年1月4日付で載せている。

このコラムは「経済教室」の「平成の終わりに」シリーズの第1弾なので猪木氏は平成元年(1989年)のマルタ会談以来30年間の日本経済が「世界の相場と比べて不思議な動きを示してきた」ことを挙げている。その特徴は①人口が、02年から17年マイナスの変化率であること、②実質GDPが02~17年の15年間で15%しか成長していないこと、③消費者物価指数が02年から17年の15年間で3%しか上昇しなかった点であり、これらは主要国と比較して「特異なパフォーマンスを示して」いることを挙げている。
そしてこの「不思議な現象を経済学が十分に」は説明できていないのだから、これらを説明するには「日本国民の精神の内的状況に立ち入って見る必要があ」り、又「歴史的な視点からも日本経済の現状を把握する必要がある。」何故なら「経済活動の基本をなす生産も消費も基本的には企業や家計の予想と心理で動く」からだと述べている。

平成人工等の統計

続いて猪木氏はデモクラシーと急速な技術革新が社会に住む人間の行動様式をどの様に変えて来たかを述べ、最後に「デモクラシーと技術革新が生み出した心の空隙を何で満たすのか、多数の支配の味気なさや不安定性をいかに避けるのか、こう問い直すことがいま求められている。」とコラムを閉じている。筆者の読後感は「ちょっと違うんじゃないか?」だ。それを説明しよう。

先ず、猪木氏はこのコラムで平成の30年の結果起こった3つの問題点を挙げたが、①は平成の30年間、②と③は後半の15年間の現象だ。平成30年の中間で社会を最も大きく変えたのはインターネット革命の結果で、②と③はその結果だ。インターネットは日本に1995年ころ紹介され、2000年から日本社会に浸透し出し、日本人の行動様式を大きく変えた。NTTドコモのi-modeサービスが発表されたのは1999年だ。猪木氏はこの事実に気が付いていただろうか?

次に、猪木氏は日本の社会科学系のインテリらしく、「歴史的な視点」として18世紀後半からの西欧の民主主義と科学技術がもたらすものを説明し、それに対する解決策としてアップルのS.ジョブスが実現した「フェース・ツー・フェースの出会いを目的とした」職場空間を紹介している。「裸の利己主義」なんて“greedy”を肯定する西洋のもので、日本は本来「思いやり」の文化じゃなかったのかと思うし、「出会いを目的とした」職場環境がS.ジョブスの功績なら日本企業の大部屋式オフィスや本多技研の「わいがや」主義はどうなんだ、と突っ込みを入れたくなる。日本の文系学者は西洋の学術成果を日本に当て嵌めようとして失敗する傾向があるし、科学技術を観念でしか理解しないので判断を誤まる。

猪木氏は民主主義と科学技術が「人々をバラバラにして社会の連携を弱める」と批判しているが、民主主義を機能させるためには多くの階層で議論や利益の調整が必要であり、多数決で決まった事には全員が従うことが原則だから、民主主義が「人々をバラバラにして社会の連携を弱める」というのは当たらない。むしろ、人々を階級間の闘争という一つの理論だけで理解しようとする態度が問題なのではないか?それに、西欧型民主主義は明治政府が西欧列強に対抗する為に便宜的に日本に導入した制度であって、日本に本格的に定着したのは大東亜戦争以降の70年間に過ぎない、民主主義をもって日本人の文化(行動の性向)を説明するのは無理がある。科学技術の発達にしても、それはそもそも人間を肉体的労働の苦痛から解放し、より人間的な生活を人々に与えようとするものだったはずだ。左翼思想家はそれを資本家が労働者を搾取する手段と言うだろうが。

猪木氏は「日本では地域社会という身近なところから、自分たちで物事を決めていくという精神は十分成熟しているのだろうか。」と述べ、日本を西洋より遅れていると貶しているが、では、例えば、江戸百万の住民を管理した警官に相当する公務員がたった50人だったという事実をどう説明するのだろうか?これは町内ごとの自治が機能していた証拠であって、自分たちで物事を決めていくという精神は十分に成熟していたと言えないだろうか?幕藩体制下の各藩が半独立国だったことを猪木氏は知らないのだろうか?

生活全般が「宴会型」から「独酌型」へと変わってしまったという指摘にも注釈が必要だ。この変化は過去10数年程度のもので、平成の30年間のものではないし、それはi-modeが普及した後のインターネット時代のものだ。自室に籠ってパソコンやスマホを一人いじっている者の姿は「独酌型」に見えるかもしれないが、その者はSNSでネットの向こうの誰かと情報を交換していたりゲームしていたりするのだ。ネットで起こる「炎上」は「独酌型」では発生し得ない。「高層マンションに住めば『向こう三軒両隣』という親近感は生まれにくい」のも高層マンションが普及したここ10年程度の傾向で、なお且つマンションには管理組合の設置が義務付けられていて、マンション住人は緩い形だが近所付き合いをしなければならない。

猪木氏は論を纏めるにあたって「改めて強く意識すべきは、科学や技術という個別の分野での革新と進歩が、全体としての人類の進歩を必ずしも意味しないということだ。ジグソーパズルの一部を精緻に仕上げても、全体がいかなる絵柄になるのか知ろうとしない限り、われわれは真に進歩したとは言い難い。一つの時代がその前の時代より進歩しているという19世紀的な進歩史観の呪縛から、われわれは自由にならなければならない。先に指摘した日本経済の不思議な現象を経済学が十分に説明できないという問題も、こうした『知性の断片化』と無関係ではなかろう。」と書いている。これについてコメントしたい。

明治以来日本の学者は西欧の学問を学び、それを西洋の知性を日本に当て嵌めようとして来た。日本は西欧とは異なる歴史と形而上学を持つから当然はみ出す部分が出る。先に指摘した「日本経済の不思議な現象を経済学が十分に説明できないという問題」はこの様なはみ出し部分があるということなのだ。そして猪木氏はその故にそれを説明できていない。「知性の断片化」もマックス・ウエーバー以来のそうした言葉だ。“西欧の”「19世紀的な進歩史観の呪縛から」「自由にならなければならない」のは猪木氏のような日本のインテリだ。

日本の産業は西欧の先進技術を消化して自己のものにし、それを利用した産業を創ることに追われてきた。IT産業においては特にそうだ。新技術が次から次に欧米に持ち込まれ、それに個別に対応して全体像を見失った姿を猪木氏は「ジグソーパズルの一部を精緻に仕上げても、全体がいかなる絵柄になるのか知ろうとしない限り、われわれは真に進歩したとは言い難い。」と述べているが、筆者としては「全体をどの様な絵柄にするかのビジョンを自ら作って世界に対してイニシアティブを発揮しない限り、われわれはいつまで経っても追随者のままだ。」と言い換えたい。例えばIBMが未来の社会と自社のビジネスとの関係をどこまで精緻に広範に描いているか知っている日本人はいるだろうか?

最後に、猪木氏が挙げた3つのポイントについてコメントしたい。
1. 平成日本の停滞の背景に日本社会の気質;背景にあるのは「日本人の気質」ではなくて「世界の覇権を守ろうとする米国の対日政策」だろう。ちなみに、中曽根康弘総理の誕生が1982年でプラザ合意が1985年だ。
2. 民主政治と技術革新は社会の連携を弱める;筆者は替りに「リベラリズムの罪」を挙げたい。リベラリズムは失敗した共産主義、社会主義が変態したもの。人の社会を個人とその機能に分解し無機的な社会を作ろうとする。その為産む性としての女性の負担が極端に増え、出生率が低下した。
3. 地方自治や対面の付き合いが重要な役割;インターネットを通じて時間、距離の制限を超えて人々が付き合っているのを猪木氏は理解していないに違いない。地方自治体はIT化を加速し業務処理効率を更に上げるべきだ。

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過剰債務の破局 どう防ぐ

「過剰債務の破局 どう防ぐ」というコラムを英Financial Timesのチーフ・エコノミクス・コメンテーター マーティン・ウルフ氏が2019年5月24日の日経新聞に載せている。これは同紙5月10日付のコラム「世界が低インフレの訳」の後編だ。

コラム子は世界がインフレになる可能性とデフレになる可能性についていくつかのシナリオを提示し、どちらも「正しい選択をしなかったがゆえに招いてしまう悲劇」であって不可避ではなく、その施策を提示している。

それには「財政政策と金融政策を組み合わせてインフレなき成長を創出する」のであって、①「債務比率の高い経済を健全化させる方向にインセンティブを修正」し、②「今の借金頼みの資産バブルへの依存を減らすべく、個人消費を高められるような政策に転換」し、③「金融機関の抱える債務を家計のバランスシートに移転させ」れば良いと言う。

そのせいで「実質金利が上昇しても、生産性は伸びているだろうから、」「債務負担におよぼす影響は、まず間違いなく金利上昇の影響を打ち消しておつりが来るはずだ。」と提案した施策によるマイナスの影響を考慮している。

これが日本経済にそのまま適用できるのだろうか?

日本経済の「長期停滞」は日本以外の大国や小国が成長している中での停滞であって、コラム子に見えている世界とはいささか違う気がする。もっとも、政府債務の増大や低金利は日本では小渕政権時に始まり、この点では世界をリードして来た。

コラム子の③の提案は要するに「企業の借金を減らし家庭の借金を増やす」ということだから、これを知ったら日本の選挙民は怒るだろう。日本経済の問題点は国家が借金に塗れ、企業に現金が溢れ、家庭が貧乏になっていることにあるからだ。かっての不況で金融機関に貸し剥がしに苦しんだ企業は労働分配率を低め(給与を低くし)、ひたすら現金を貯め込み、新規事業投資に金をケチった。その為日本経済はGAFAの様な新規産業も生まれず、自動車産業にすがって生き延びることになった。つまり、IT時代にふさわしい形に産業構造を変態(メタモルフォーゼ)させることができないでいる。例えば中国は国家の強権をもってGAFAに対応する企業群を育てており、日本はそれを見て「すごいな」としかいうことができない。

日本のIT産業はメインフレーム時代の発想のままで化石化している。「情報こそ力だ」ということが経団連も政府も分かっていないのではないか?ネット産業も弱小企業のままで、トップの楽天といえどもGAFA並みには育っておらず米国や中国の後塵を拝している。

気になるのは楽天が5Gのネットインフラ事業を始めようとしていることだ。ネットインフラ事業はネットサービス事業とは全く性格が違い、1企業がこれら2種の事業をすると性格分裂に陥ってしまう。経営者の頭脳が異なる思考体系に耐えられないだろう。ネットインフラは事業モデルが比較的単純で収益を見通しやすいのが落とし穴だ。かってNiftyというネットサービス会社があって成功していたがハードメーカの富士通に買収されてすっかり精彩を失った。NIftyも同じ罠に落ちた。

Googleやアマゾンがネットサービスを提供していないのは、彼らはネットベースのビジネスモデルが見えているからだ。しかし、ハード寄りの発想しかできない日本のIT経営者に彼らと同程度の、高度で複雑な抽象概念を処理して将来のビジネスモデルの構想を構築できるだろうか?それができたとして日本の投資家はそれを理解して忍耐強く事業家を支援し続けられるだろうか?

だから日本の取るべき政策は①労働分配率を上げ、②福祉などの低賃金を上げて未就労の日本人に働く喜びを感じさせ、③意欲ある若いネット起業人に20年単位の投資をしてGAFAに相当する企業を育て、④政府のIT政策の責任者に40歳代の活きの良い者を充てることだ。

折しも米国は中国の世界覇権の意欲を挫こうとしている。この為世界経済は一時的な低迷を避けられないだろうが、その影響は軽微なものになるはずだ。何故なら、それは中国への投資を損切りし中国以外のどこかに新たにサプライチェーンを延ばすことだからだ。

筆者はかってこの状況は日本に漁夫の利をもたらすとブログで書いたことがある。例えば、華為や三星が抜けた穴を埋めるのはSONYや富士通だ。日本に不足しているのは、起業家精神とそれを支える健全な長期投資だ。

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過剰債務の破局 どう防ぐ

「過剰債務の破局 どう防ぐ」というコラムを英Financial Timesのチーフ・エコノミクス・コメンテーター マーティン・ウルフ氏が2019年5月24日の日経新聞に載せている。これは同紙5月10日付のコラム「世界が低インフレの訳」の後編だ。

コラム子は世界がインフレになる可能性とデフレになる可能性についていくつかのシナリオを提示し、どちらも「正しい選択をしなかったがゆえに招いてしまう悲劇」であって不可避ではなく、その施策を提示している。

それには「財政政策と金融政策を組み合わせてインフレなき成長を創出する」のであって、①「債務比率の高い経済を健全化させる方向にインセンティブを修正」し、②「今の借金頼みの資産バブルへの依存を減らすべく、個人消費を高められるような政策に転換」し、③「金融機関の抱える債務を家計のバランスシートに移転させ」れば良いと言う。

そのせいで「実質金利が上昇しても、生産性は伸びているだろうから、」「債務負担におよぼす影響は、まず間違いなく金利上昇の影響を打ち消しておつりが来るはずだ。」と提案した施策によるマイナスの影響を考慮している。

これが日本経済にそのまま適用できるのだろうか?

日本経済の「長期停滞」は日本以外の大国や小国が成長している中での停滞であって、コラム子に見えている世界とはいささか違う気がする。もっとも、政府債務の増大や低金利は日本では小渕政権時に始まり、この点では世界をリードして来た。

コラム子の③の提案は要するに「企業の借金を減らし家庭の借金を増やす」ということだから、これを知ったら日本の選挙民は怒るだろう。日本経済の問題点は国家が借金に塗れ、企業に現金が溢れ、家庭が貧乏になっていることにあるからだ。かっての不況で金融機関に貸し剥がしに苦しんだ企業は労働分配率を低め(給与を低くし)、ひたすら現金を貯め込み、新規事業投資に金をケチった。その為日本経済はGAFAの様な新規産業も生まれず、自動車産業にすがって生き延びることになった。つまり、IT時代にふさわしい形に産業構造を変態(メタモルフォーゼ)させることができないでいる。例えば中国は国家の強権をもってGAFAに対応する企業群を育てており、日本はそれを見て「すごいな」としかいうことができない。

日本のIT産業はメインフレーム時代の発想のままで化石化している。「情報こそ力だ」ということが経団連も政府も分かっていないのではないか?ネット産業も弱小企業のままで、トップの楽天といえどもGAFA並みには育っておらず米国や中国の後塵を拝している。

気になるのは楽天が5Gのネットインフラ事業を始めようとしていることだ。ネットインフラ事業はネットサービス事業とは全く性格が違い、1企業がこれら2種の事業をすると性格分裂に陥ってしまう。経営者の頭脳が異なる思考体系に耐えられないだろう。ネットインフラは事業モデルが比較的単純で収益を見通しやすいのが落とし穴だ。かってNiftyというネットサービス会社があって成功していたがハードメーカの富士通に買収されてすっかり精彩を失った。NIftyも同じ罠に落ちた。

Googleやアマゾンがネットサービスを提供していないのは、彼らはネットベースのビジネスモデルが見えているからだ。しかし、ハード寄りの発想しかできない日本のIT経営者に彼らと同程度の、高度で複雑な抽象概念を処理して将来のビジネスモデルの構想を構築できるだろうか?それができたとして日本の投資家はそれを理解して忍耐強く事業家を支援し続けられるだろうか?
だから日本の取るべき政策は①労働分配率を上げ、②福祉などの低賃金を上げて未就労の日本人に働く喜びを感じさせ、③意欲ある若いネット起業人に20年単位の投資をしてGAFAに相当する企業を育て、④政府のIT政策の責任者に40歳代の活きの良い者を充てることだ。

折しも米国は中国の世界覇権の意欲を挫こうとしている。この為世界経済は一時的な低迷を避けられないだろうが、その影響は軽微なものになるはずだ。何故なら、それは中国への投資を損切りし中国以外のどこかに新たにサプライチェーンを延ばすことだからだ。

筆者はかってこの状況は日本に漁夫の利をもたらすとブログで書いたことがある。例えば、華為や三星が抜けた穴を埋めるのはSONYや富士通だ。日本に不足しているのは、起業家精神とそれを支える健全な長期投資だ。

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日本は中国のエネルギー戦略に尽くすべきか?

「もう一つの米中覇権争い」というコラムを日経新聞編集委員の松尾博文氏が2019年5月4日のDeep Insight欄で書いておられる。氏は「米国と中国の摩擦」を「エネルギーの視点で見れば、世界最大の生産国である米国と、世界最大の消費国である中国の攻防と捉えることができる。」と問題提起し、米中の狭間にいる日本はどうすべきかを提案している。筆者はそれに強烈な違和感を感じる。何故かを説明しよう。

松尾氏は以下の様に述べる。

エネルギーの重要性について松尾氏は「エネルギーの確保と国際政治は表裏一体だ。20世紀の2度の世界大戦を経て、石油の確保は国家安全保障の要となり、石油をめぐる地政学が国際政治の重要な関心事になってきた。」と説明している。エネルギーを制する者が世界の覇権を制するのであり、「『エネルギー支配』に動く米国に対し、エネルギーの次世代技術を押さえて米国の支配に挑戦する中国」、と松尾氏はエネルギーを巡って米国と世界が競合している構図を提示している。

この対立の構図に決定的な影響を与えたのが米国のシェール革命で、これにより米国は「ロシアやサウジアラビアを抜いて世界最大の産油国に躍り出」、「米国のエネルギー政策は不足への対応から、余剰への対応に軸足が移った」。
一方中国は「世界最大の1次エネルギー消費国となり、その差は年々開いて」おり、「米国主導の石油・ガス支配の傘に中国を入れたい米国と、入りたくない中国の思惑は反発する」状態になっている。この状態を打破しなければ中国は「一帯一路」という「新興国市場を開拓」し「沿線に勢力圏を広げ」るという「安全保障上の目標」を実現できない。

米中エネルギー生産/消費量


そこで中国はEVや風力発電等の次世代技術に注力し、その「サプライチェーン全体を押さえにかか」っており、実績をあげつつある。事実「17年の太陽光発電パネル出荷の世界上位10社中、9社が中国メーカー」であり「同年に販売されたEVの5割は中国向けだった。」中国政府は国家資本主義による「層の厚い企業群」を「強力な導入支援策」で「後押し」し、「次世代技術で主導権を握」ろうとする。これに成功すれば中国は「世界の4分の1近いエネルギーを消費する中国が仕掛けるエネルギー転換は世界の流れを決め、将来のエネルギー秩序を支配する力を持ち」、米国を凌駕できる。

松尾氏はこの様に中国がエネルギーの次世代技術で米国を圧倒するであろうことを述べ、「エネルギー覇権の行方を決める」のが「資源の多寡でなく、技術の優位性で決まる時代。米中攻防のはざまで日本はどう動くべきか。」と読者に問いを投げかけている。彼はその解答として「重要なのは中国主導のエネルギー秩序にあらがったり、なすすべなくのみ込まれたりするのではなく、欠かせない存在として加わること」を示し、更に日本の政界にも「エネルギー戦略も軸足を移す必要がある。」と注文している。

違和感は、松尾氏は日本を米国と中国という強大国の狭間で翻弄される弱小国だと見ていることだ。どんな議論にも前提条件や仮定がある。松尾氏は、中国が昇り龍であることは間違いなく、弱小日本は米国を忘れて中国に踏み潰されない様にしなければならない、と言っている。この前提条件は正しいのか?中国の経済統計は出鱈目だあることは経済学者でなくとも知っている。ソ連が崩壊した後そのGDPは20倍の水増しだったことが分かっている。だから中国のGDPは実質発表値の20分の1で、そうすると日本はGDP世界第2位であり続けていることになる。GDP2位の国に、GDP3位の国に踏み潰されないように貢献しろと言うのは笑止である。

更に、松尾氏の根拠として挙げている中国の太陽光発電パネルの製造だが、中国の製造量は多いがその技術はほとんど外国のをパクったものだ。中国産業定番の低品質製品の超大量製造でこの産業は壊滅しかけている。EVについても同様だ。中国は技術の消費国ではあっても開発・供給国ではない。それに、中国がエネルギーや食糧を外国に依存する様にしたのは米国の戦略だ。中国は米国の掌の上で踊っているにすぎない。

松尾氏の主張に従えば、日本は中国に「国内向け限定ですよ」と新幹線の技術を提供して競合相手を育てた日本の鉄道運送産業の二の舞を演じることになりそうだ。最初から約束を守る気が無く技術を盗んでやろうと構えている相手とどうやったら国益に適う関係を築けるか教えて欲しいものだ。

折しも米中貿易戦争が一段と過熱し、中国に入れ込んだ韓国経済が壊滅的打撃を受けている。韓国を見れば中国投資がどんなに危険か子供でも判る。華為も世界から孤立しつつある。米国は自由貿易世界を構成した自由、平等などの価値を守る為に、米国が構築した世界貿易の仕組みにただ乗りして世界の覇権を獲ろうとする国を許さないのだ。日本の繁栄がこの仕組みに乗ったものである以上、日本の取るべき進路は明らかだろう。日経新聞子がこれを理解しないはずがない。

日経新聞は中国の提灯持ちをいい加減止めて、どうしたら日本のエネルギー自給率を上げたり安定供給を図るかの政策を提言すべきだ。書くことはいくらでもある。

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