FC2ブログ

KenConsulting Blog

KenConsultingの本多謙が政治/経済記事を独自の視点で評論します

グローバリズムの未来

2020年1月以来の新型コロナ禍から世界は徐々に元に戻ろうとしている。日本では安倍首相は5月25日緊急事態を全面解除した。中国武漢から発生した新型コロナウイルスにより5月末時点で世界では600万人が感染し36万人が死亡した。米国では600万人が感染し36万人が死亡した。中国大陸では公式には5千人が死亡したことになっているが、実際は2000万人以上だろうと言われている。西欧世界では都市封鎖が行われ、経済活動が止まり倒産や失業が増えた。

各国の政府はコロナ禍での被害より感染対策による被害の拡大を怖れて経済を再開させつつある。しかし一旦委縮した経済や消費行動はなかなか元に戻らない。例えば航空業界は今後長期低迷が続き、おそらく元の規模には戻らないと見られている。人の移動を前提にした経済行動や消費行動がビデオ会議などで人が移動しないものに変ってしまったからだ。中国は西側諸国がコロナ禍対応に必死な隙を突いて国家安全法を成立させて香港の自治を剥奪し、トランプ大統領はそれを受けて5月30日中国に宣戦布告するに近い演説をした。

他コロナ後の世界がコロナ前からどの様に変わるかについて多くの議論がなされている。最大の焦点は旧来のグローバリズムが崩壊したという点だろう。コロナ前は、グローバリストは自分こそが世界のあるべき姿を実現するリーダーだとみなし、ポピュリストに対抗して自らの正当性を誇示していた。ポピュリストとはグローバリストがナショナリストを「大衆の動きに迎合した者」と侮蔑した呼び方だ。コロナ前のグローバリストがグローバリズムをどの様に認識していたのだろうか?それを解説するコラムが2019年7月26日の日経新聞FINANCIAL TMES欄に載っているので紹介したい。そしてグローバリズムは今後どうあるべきかについて考えてみたい。

このコラムの題名は「健全なグローバル主義が依然、必要な理由で著者はグローバルエコノミストコメンテータのMartin Wolf氏(以下W氏)である。題名から、W氏はこのコラムでポピュリストの攻勢からグローバリストを擁護したいことが分かる。先ず彼は宇宙船から撮影した丸い地球の写真を示し、これから導き出されたグローバリズムの概念を提示する。それは①「この宇宙から撮った美しい青色の球体の地球の写真」を見て「人は皆、互いに密につながっており、複雑な生態系の一部をなす」と思うのであり、②「人に共通することは全ての人間に共通すると」考えるべきであり、③我々は「道徳的にも現実的にも」「我々は地球的視野で物事を考える必要がある」のであり、④それは「経済だけの話ではな」く「人間は皆、グローバルな責任を負い、推進すべき共通の利益がある」のであり、⑤その推進単位「国民国家」が、「これをはるかに超えた」「人間全体として考える必要がある」と言う。
碧の地球

W氏はこの観念を現実のものにする為に「世界的公共財」という指標を提示する。世界各国が協調してグローバリズムが進展するほどこの指標が増えるのだ。W氏によればグローバリズムは、第2次世界大戦の惨禍は各国のエゴが衝突した結果でありその惨禍を繰り返さない為に第2次世界大戦の戦勝国が1944年に作った米国主導のブレトンウッズ体制から始まる。W氏はブレトンウッズ会議後75年間のグローバリズムの成果として「絶対的貧困層の割合が世界人口の10%を切った」ことを挙げ、「経済や社会が複雑になるに従い必要な公共財も」世界規模で「大幅に増え」ていると指摘する。我々が「生物圏を分かち合っている」以上「環境をグローバルに保護すること」、平和、「予測可能で開かれて安定した世界経済」、「経済発展」も公共財だという訳だ。しかし、「グローバルな公共財というのは、各国が協力して初めて実現する」ので「各国が協力を拒めば、公共財を創り出すことはできない。」従ってW氏は世界の繁栄と安定をもたらす世界規模の公共財を供給し維持する必要があり、その為の課題を3つ挙げている。
第1は、民主主義国家の「アイデンティティーと国民」の利益の相反だ。その例としてW氏は「グローバル化を進める上で最も重要な移民問題は、国際的には進めた方がよくても、国内の支持が得られないと」言う。
第2は、「世界における自国の位置づけと、国内問題のバランスをどう取るか」だ。強国と弱小国の間には金融面のグローバル化、貿易、法人課税、環境などで格差や不公平があり、その為に弱小国内に生じる不満を是正しなければならない。
第3は、最も重要な問題として「国内の失政や利害対立を外国人のせいに」して自国内の外国企業や外国を排除しようとする動きだ。
W氏は締め括りとして「世界規模で考え、行動しなくてはなら」ず、「協調的なグローバル主義を守るべき」であり、国民国家が「排外主義に走」らず「地元、国、地域、国際レベルでの要求と懸念のバランスをと」るべきだ、と言う。

W氏のこのコラムは昨年7月に英FTに掲載されたものであり、10か月後の世界の現状は彼のグローバリズムに対する反論に満ちている。そもそもW氏が言うグローバリズムとは何だったのか?それは「人類は漆黒の宇宙に浮かぶ地球という天体に住む孤独な存在」という印象から来るものだ。1970年代のこの1枚の写真は世界中の人間に人類が広大な宇宙でちっぽけな地球にしか住めない生き物であることを“観念ではなく現実として”理解させたという点で世界史的な事件だった。これ以降欧米の政治経済のメッセージには“this planet”という表現が頻出する様になった。それは「世界中どの人も同じ仲間として共に道徳的にも経済的にも豊かに幸せになるべきだし、その様にして行こう」というものだ。

この少し前に、グローバリズムを実現する手段として機能したのが第2次世界大戦直前に発足したブレトンウッズ体制だという。これは第2次世界大戦の惨禍が西欧各国の利己主義が衝突したからだという反省に立ってこの惨禍を繰り返さないように構築しようとしたもので、当然第2次世界大戦の戦勝国、特に米国が主導した。ブレトンウッズ体制は70年代に破綻したが米国はグローバリズムを主導し続けた。日本は戸惑いながらもそれを受入れた。

米中が国交回復し鄧小平が改革開放路線を始めたのも70年代だ。西側は中国に西側の社会、政治、経済システムや科学技術を提供し、中国に投資し、米国市場を中国企業に開放し、中国をWTOに加盟させて中国企業の成長を助けた。それはグローバリズムの定義に従って中国が西側の良き隣人になることを期待したからだ。そのおかげで中国のGDPは日本を抜いて世界第2位にまで成長した。

だが、その過程は結局西側のグローバリストが期待した通りではなかった。鄧小平が70年代に改革開放路線を始めた時彼は自国民に韜光養晦(とうこうようかい)を説いた。これは「今は野心を隠して実力を蓄えよう」という意味だ。この路線に従って中国は米国を凌駕して世界の覇権を握ろうという野心を隠し、米国の忠実な弟分の振りをし、あらゆる方法で西側の先端技術を吸収し続けた。当然賄賂、ハニートラップ、スパイも横行した。彼等はひたすら自己を無にして西側のシステムを学びそのコピーを自国に再現した。そして中国のGDPが日本を超えたころから中国は自国の覇権を表に出し始めた。習近平が中国最高指導者になった頃に出た一帯一路構想やAIIBがそれだ。中国は共産主義世界革命を中国主導で実現しようとしたのだ。このころから米国は中国の覇権主義に対する警戒感を強めて来たが、武漢発のウイルスがパンデミックを起こし600万人の米国人が犠牲になって中国制裁を強化し始めた。

そもそも、中国は19世紀から米国に肉体労働者を送り込んできたし、第2次大戦中は米国の支援を受けて日本軍に対抗したし、戦後は米国の対ソ連冷戦に協力したから、米国にとって中国が敵になることは想像しにくかっただろう。それに鄧小平は中国を14億人の市場として米国に売り込み、米国はそれにすっかり乗ってしまった。米国は中国人を教育して少しづつ豐かにしていって高価格帯の商品も売れる様にしようと金儲けのシナリオ実現に熱中した。米国の製造業を国内から中国に移し、中国の安い人件費を利用して製造した製品を世界中で販売して利益をあげた。これらは米国が、中国人は適切に教育すれば西側の「同じ仲間」になると思い込んだからだ。西洋人の東洋に対するロマンチシズムもあっただろう。

だが、中国人の民族性は数十年間教育した程度では変わらなかった。そもそも教育で変わるものでもなかったのだ。孫氏の子孫たちは「兵は詭計なり」、つまり“戦争の基本は敵を騙すことだ”の言葉通り理想主義の米国人を何年も欺き続けたのだった。中国は「超限戦」を米国に仕掛けたのだ。これは通常戦に加えて外交、国家テロ、諜報、金融、通信網、法律、心理、メディア等を総合的に組み合わせた軍事戦略であり、攻撃された側はそれをSilent Invasion と呼んだ。西側諸国は中国からの賄賂や嘘によって社会規範が甚だしく腐敗したのを改めて認識した。

ところで、米国がブレトンウッズ会議以来推進して来たグローバリズムは第2次世界大戦の戦勝国の論理を世界に押し付けるものだった。米国は製造工場を中国などに移転した為米国内では製造のノウハウと雇用が失われ、中間所得層が激減し、失業者は貧困化した。製造業を受け入れた後進国では労働者が低賃金で過酷な労働環境に甘んじる他無かった。グローバリズムは先進国の投資家だけを富ませる経済競争原理の別名でもあったのだ。

日本人は、中国に対して遣唐使のころの印象を持っている。中国はこの点を日本に訴えた。これに呼応して日本政府は中国からの留学生を受入れ、中国に技術、法制度、経済運営の仕組みを教え、産業界は中国に投資した。これは日本にとって突飛なことではない。日清戦争後に清から多数の留学生を受入れたし、戦前には「五族(和・韓・満・蒙・漢)協和」、戦後には「人類皆兄弟」が普及していた。日本は文化の先進地としての隋唐時代の中国にロマンを抱いて、中国が再び西側先進国の良き隣人になることを願ったのだ。安倍政権は「ヒト、モノ、カネの最も自由に行き来する国」を目指し中国との交流を進めて来た。その結果在日中国人は73万人に、在中国日本人は12万人に増えた。(2018年)

だが、日本人は現在の中国人が隋唐時代の漢人の子孫ではないことを見落としていた。昔の漢人の血は途絶え、今の中国人は周辺諸国からの征服王朝や毛沢東が中国人の文化文明を消滅せしめた後に残った無頼の者たちなのだ。日本も中国の超限戦の対象であり、Silent Invasionは日本にも起こっているのだ。

さて、2020年5月、中国をめぐる国際政治経済の環境はこの数か月で激変した。引金になったのは武漢発の新型コロナウイルスだ。米国が中国を非難する理由は情報隠蔽のせいでパンデミックを起こし600万人の米国人が犠牲になったのでそれを償え、という他にウイグル・チベットでの人権弾圧、数多のスパイ行為、香港に対する一国二制度の否定など沢山ある。米国は中国を米国から分離する他に関連諸国を糾合し中国に巨額の賠償金を支払わせようとしている。米中冷戦構造のなかで中国は確実に孤立しつつある。国際決済、IT技術、食料を押さえられた中国には勝目は無い。近い将来、中国は清朝末期の様になるか、軍閥が割拠する様になるかも知れない。

この状況で日本の安倍政権は習近平の国賓訪問を進めようとしている。これをやれば日本は中国側の国と見做され米国市場を失うかも知れない。リスクはこれだけではない。中国国防動員法が発令されれば日本にいる73万人の中国人は突然便衣兵になって敵対行動を始めるだろうし、中国にいる12万人の日本人は拘束され人質になるだろう。日本の取るべき政策は明らかだ。

ところで、米国は自らが主導してきたグローバリズムを否定しているのだろうか?そうではない。グローバリズムから中国を排除しようとしていると見做すべきだ。「America first」は米国の負担を削減する為のメッセージで、米国は形を変えてグローバリズムを主導し続けるだろう。日本は米国のグローバリズムの文脈に呼応して行動して来た。今後も東洋における重要なパートナーであり続け、中国からの蚕食を防ぎ、自国の国益と友好国の利益を求め続けるべきだ。では具体的にどうすべきか?これについては次のブログで述べてみたい。

資料;https://www.nikkei.com/article/DGXMZO47782020V20C19A7TCR000/ 
2019年7月17日付 英フィナンシャル・タイムズ紙 https://www.ft.com/

スポンサーサイト



PageTop

令和時代、日本の製造業が取るべき道は?

「製造業、苦闘の先に勝機も」という題で、令和時代の日本の製造業の進むべき方向を、東京大学教授藤本隆宏氏が2019年1月9日付の日経新聞経済教室欄「平成の終わりに」シリーズ第4回で示唆している。

とはいっても具体的な戦略を提示している訳ではなく、ここに気を付ければ生き残れるよ、程度なのだが。だがこのコラムの白眉は昭和、平成に至る日本の製造業の環境と履歴を図式的に実に分かり易く説明していることだ。多くの人が熟読することをお薦めする。

筆者としては、見出しの「米中共に頼る補完技術を」やポイントとして挙げている「米中恐竜企業の間で生きる哺乳類戦略を」には不満であり、どうして日本が世界をリードできる方向性を示せないのだろうか、と思う。それを説明したい。

コラム子は「日本は昭和の戦後期つまり約40年の冷戦期に経済が成長した国である。平成は冷戦終結とともに始まったポスト冷戦期であり、バブル崩壊後の日本経済停滞の時代だった。」と戦後の70年間を総括し、平成の停滞の原因を2つ挙げている。その筆者なりの表現は「低賃金国の参入」と「デジタル・ネット化」だ。

冷戦期、日本はアナログ環境の産業と技術のすり合わせで製造した個別製品で成功し、そのGDPは世界第2位に達した。例えば日本の家電は欧米の競合相手を駆遂したのだった。米国はこれに深刻な危機感を抱き、産業構造の抜本的な改革を行った。1つは中国などの低開発国を開国し、投資して製造能力を与え、安価な労働力で工業製品を作らせ、日本に対抗することであり、もう1つは産業技術の基盤をアナログからデジタルの移して日本が製造できない製品を作ることだった。インテルが一旦は日本の為に倒産しかけCPUに特化することで繁栄を取り返したことを覚えている人も多いだろう。また、米国は終身雇用制度を捨て、必要な労働力を柔軟に利用できるように社会システムを改めた。IBMが終身雇用を捨てたのは1992年(平成2年)ころだった。

更に、米国は政治力を駆使し、1985年にプラザ合意で超円高の環境を実現し、日本の製造業を苦境に追い込んだ。米国は単に製造技術という狭い領域だけでなく、社会の仕組みをごっそり変え、政治力などの力を全て動員して米国の覇権を日本から護ったと言える。日本人は覇権を護る為なら身を切ることも厭わないアメリカ人のダイナミズムを理解しているだろうか?コラム子は「平成期に入ると、冷戦終結による低賃金人口大国・中国の世界市場参入、デジタル情報革命による家電などの設計比較優位の喪失、さらに複合不況、円高継続もあり、貿易財製造業は苦難の時代が続いた。」と“台風が来て大変でした”みたいな書き方をしているが、その遠因は日本の世界での成功であることは覚えておいた方が良い。

コラム子は平成の30年を初期、中期、後期に分けて説明している。初期は日本が中国の低賃金工場システムに負けた時代、中期は中国の賃金高騰や生産性改善により競争力を取り戻して行く時代、後期はこの傾向が更に強くなり「国内の優良現場はグローバルコスト競争の長いトンネルを抜け、多くが存続可能となった」時代だ。

更に「平成後期の10年代は、スマートフォン(スマホ)、クラウド、人工知能(AI)などデジタル革命が加速化した時代でもあった。」と言い、日本の産業が置かれた状況を“外国勢が上空、低空で優位を占めているのに日本勢は地上に取り残されている”という図式で説明している。上空とはGAFAに代表されるネットとサービスの産業であり、IoTやインダストリー4.0等で上空層の産業の手足や感覚器官になる産業のことだ。

デジタル化の三層構造
出典;日本経済新聞2019年1月9日朝刊23面

そして「日本製造業はグローバル競争の危機は脱しつつあるが、デジタル化では出遅れ、上空で米国勢に制空権を握られ、低空でもドイツ勢の後塵を拝した。地上でもドイツ勢が支援する中国の自動化工場が続々新設され、これらの閉塞感から再び日本製造業悲観論が出ている。」と現状を纏め、日本の製造業の進むべき道として、米国と中国の存在感はとても大きいので、「米中共に頼る補完技術」を充実させ、“米中という恐竜の狭間で哺乳類が生き残れた様な弱者の戦略を“とるべきだと勧める。

だが、日本人は中国が米国と同等の恐竜だと考えて良いのだろうか?日本人は中国が5000年の歴史を持ち古代に日本に文明を持ち込んだ理想の国という幻想が抜き難くあり、中国もそれを利用して自国のイメージを高めている。だが現実は違う。隋や唐が滅び破壊と殺戮の歴史の後に残ったのは日本より遥かに劣り、謀略に長けただけの共産主義国だ。ソ連が崩壊した後そのGDPは発表値の20分の1だったことを顧みれば、中国のGDPは日本の数分の一だと見做してよい。であれば中国を恐竜と見做すのは間違いになる。

米国にとって誤算だったのは、中国が賃金を高騰させて製品の国際競争力を弱めたことと、米国が中心になって構築したグローバルな経済システムや研究開発システムにタダ乗りし、19世紀に失われた覇権を取り戻そうと野心を剥き出しにしたことだ。この米中間の軋轢をコラム子は「米中技術摩擦」と表現しているが、このコラムが載った2019年1月以来事態は急展開し、「米中戦争」と呼ぶ状態になっている。

日本人は中国が且つてヒトラーやユダヤ人に対して行った以上の民族浄化をモンゴルや満州で行い、今はチベットやウイグルで行い、10億の農村戸籍の自国民を奴隷の様に扱い、生体臓器移植を行っていることを知らない訳ではないだろう。米国はこれらの問題を経済問題と同レベルで解決すべく中国を作り変えようとしている。これが「米中戦争」の全体図であり、「米中技術摩擦」はその極く一部でしかない。しかし「米中技術摩擦」の将来を語るには「米中戦争」全体を知らなければならない。

この「米中戦争」の結果、米国が勝ち中国は破れ、中国は技術の覇権を獲ることなく低開発国に甘んじることになるだろう。であれば日本の戦略は「米中恐竜企業の間で生きる哺乳類戦略を」でも「米中共に頼る補完技術を」でもなく、「米国と共に中国や東アジアのイニシアティブを取れる技術と産業政策を」であるべきだ。

日本は天安門事件の後孤立した中国に天皇を送って中国の経済発展に貢献した。だが中国は同時期に反日を強め日本を蚕食する動きを止めない。日本の経済界はこれらの不都合な事実を見ない振りをし、中国に投資を続けている。あまつさえ“中国のハイテク産業に協力しそれを補完する勧業を育てるべきだ”という言説の裏には中国に対する幻想があるのだろう。

中国の一帯一路に順応しようとした国がどういう末路を辿ったか、回答は既に出ている。日本をそういう国、ウイグルやチベットの様にしたくなければ、取るべき進路は明らかだ。日本は日本のアナログ産業の攻勢に対抗しようとして産業構造そのものを変革させた米国のダイナミズムを見習うべきだ。

PageTop

「『知性の断片化』の危機回避を」について

「『知性の断片化』の危機回避を」というコラムを猪木武徳(いのき・たけのり)氏が日経新聞の経済教室欄に2019年1月4日付で載せている。

このコラムは「経済教室」の「平成の終わりに」シリーズの第1弾なので猪木氏は平成元年(1989年)のマルタ会談以来30年間の日本経済が「世界の相場と比べて不思議な動きを示してきた」ことを挙げている。その特徴は①人口が、02年から17年マイナスの変化率であること、②実質GDPが02~17年の15年間で15%しか成長していないこと、③消費者物価指数が02年から17年の15年間で3%しか上昇しなかった点であり、これらは主要国と比較して「特異なパフォーマンスを示して」いることを挙げている。
そしてこの「不思議な現象を経済学が十分に」は説明できていないのだから、これらを説明するには「日本国民の精神の内的状況に立ち入って見る必要があ」り、又「歴史的な視点からも日本経済の現状を把握する必要がある。」何故なら「経済活動の基本をなす生産も消費も基本的には企業や家計の予想と心理で動く」からだと述べている。

平成人工等の統計

続いて猪木氏はデモクラシーと急速な技術革新が社会に住む人間の行動様式をどの様に変えて来たかを述べ、最後に「デモクラシーと技術革新が生み出した心の空隙を何で満たすのか、多数の支配の味気なさや不安定性をいかに避けるのか、こう問い直すことがいま求められている。」とコラムを閉じている。筆者の読後感は「ちょっと違うんじゃないか?」だ。それを説明しよう。

先ず、猪木氏はこのコラムで平成の30年の結果起こった3つの問題点を挙げたが、①は平成の30年間、②と③は後半の15年間の現象だ。平成30年の中間で社会を最も大きく変えたのはインターネット革命の結果で、②と③はその結果だ。インターネットは日本に1995年ころ紹介され、2000年から日本社会に浸透し出し、日本人の行動様式を大きく変えた。NTTドコモのi-modeサービスが発表されたのは1999年だ。猪木氏はこの事実に気が付いていただろうか?

次に、猪木氏は日本の社会科学系のインテリらしく、「歴史的な視点」として18世紀後半からの西欧の民主主義と科学技術がもたらすものを説明し、それに対する解決策としてアップルのS.ジョブスが実現した「フェース・ツー・フェースの出会いを目的とした」職場空間を紹介している。「裸の利己主義」なんて“greedy”を肯定する西洋のもので、日本は本来「思いやり」の文化じゃなかったのかと思うし、「出会いを目的とした」職場環境がS.ジョブスの功績なら日本企業の大部屋式オフィスや本多技研の「わいがや」主義はどうなんだ、と突っ込みを入れたくなる。日本の文系学者は西洋の学術成果を日本に当て嵌めようとして失敗する傾向があるし、科学技術を観念でしか理解しないので判断を誤まる。

猪木氏は民主主義と科学技術が「人々をバラバラにして社会の連携を弱める」と批判しているが、民主主義を機能させるためには多くの階層で議論や利益の調整が必要であり、多数決で決まった事には全員が従うことが原則だから、民主主義が「人々をバラバラにして社会の連携を弱める」というのは当たらない。むしろ、人々を階級間の闘争という一つの理論だけで理解しようとする態度が問題なのではないか?それに、西欧型民主主義は明治政府が西欧列強に対抗する為に便宜的に日本に導入した制度であって、日本に本格的に定着したのは大東亜戦争以降の70年間に過ぎない、民主主義をもって日本人の文化(行動の性向)を説明するのは無理がある。科学技術の発達にしても、それはそもそも人間を肉体的労働の苦痛から解放し、より人間的な生活を人々に与えようとするものだったはずだ。左翼思想家はそれを資本家が労働者を搾取する手段と言うだろうが。

猪木氏は「日本では地域社会という身近なところから、自分たちで物事を決めていくという精神は十分成熟しているのだろうか。」と述べ、日本を西洋より遅れていると貶しているが、では、例えば、江戸百万の住民を管理した警官に相当する公務員がたった50人だったという事実をどう説明するのだろうか?これは町内ごとの自治が機能していた証拠であって、自分たちで物事を決めていくという精神は十分に成熟していたと言えないだろうか?幕藩体制下の各藩が半独立国だったことを猪木氏は知らないのだろうか?

生活全般が「宴会型」から「独酌型」へと変わってしまったという指摘にも注釈が必要だ。この変化は過去10数年程度のもので、平成の30年間のものではないし、それはi-modeが普及した後のインターネット時代のものだ。自室に籠ってパソコンやスマホを一人いじっている者の姿は「独酌型」に見えるかもしれないが、その者はSNSでネットの向こうの誰かと情報を交換していたりゲームしていたりするのだ。ネットで起こる「炎上」は「独酌型」では発生し得ない。「高層マンションに住めば『向こう三軒両隣』という親近感は生まれにくい」のも高層マンションが普及したここ10年程度の傾向で、なお且つマンションには管理組合の設置が義務付けられていて、マンション住人は緩い形だが近所付き合いをしなければならない。

猪木氏は論を纏めるにあたって「改めて強く意識すべきは、科学や技術という個別の分野での革新と進歩が、全体としての人類の進歩を必ずしも意味しないということだ。ジグソーパズルの一部を精緻に仕上げても、全体がいかなる絵柄になるのか知ろうとしない限り、われわれは真に進歩したとは言い難い。一つの時代がその前の時代より進歩しているという19世紀的な進歩史観の呪縛から、われわれは自由にならなければならない。先に指摘した日本経済の不思議な現象を経済学が十分に説明できないという問題も、こうした『知性の断片化』と無関係ではなかろう。」と書いている。これについてコメントしたい。

明治以来日本の学者は西欧の学問を学び、それを西洋の知性を日本に当て嵌めようとして来た。日本は西欧とは異なる歴史と形而上学を持つから当然はみ出す部分が出る。先に指摘した「日本経済の不思議な現象を経済学が十分に説明できないという問題」はこの様なはみ出し部分があるということなのだ。そして猪木氏はその故にそれを説明できていない。「知性の断片化」もマックス・ウエーバー以来のそうした言葉だ。“西欧の”「19世紀的な進歩史観の呪縛から」「自由にならなければならない」のは猪木氏のような日本のインテリだ。

日本の産業は西欧の先進技術を消化して自己のものにし、それを利用した産業を創ることに追われてきた。IT産業においては特にそうだ。新技術が次から次に欧米に持ち込まれ、それに個別に対応して全体像を見失った姿を猪木氏は「ジグソーパズルの一部を精緻に仕上げても、全体がいかなる絵柄になるのか知ろうとしない限り、われわれは真に進歩したとは言い難い。」と述べているが、筆者としては「全体をどの様な絵柄にするかのビジョンを自ら作って世界に対してイニシアティブを発揮しない限り、われわれはいつまで経っても追随者のままだ。」と言い換えたい。例えばIBMが未来の社会と自社のビジネスとの関係をどこまで精緻に広範に描いているか知っている日本人はいるだろうか?

最後に、猪木氏が挙げた3つのポイントについてコメントしたい。
1. 平成日本の停滞の背景に日本社会の気質;背景にあるのは「日本人の気質」ではなくて「世界の覇権を守ろうとする米国の対日政策」だろう。ちなみに、中曽根康弘総理の誕生が1982年でプラザ合意が1985年だ。
2. 民主政治と技術革新は社会の連携を弱める;筆者は替りに「リベラリズムの罪」を挙げたい。リベラリズムは失敗した共産主義、社会主義が変態したもの。人の社会を個人とその機能に分解し無機的な社会を作ろうとする。その為産む性としての女性の負担が極端に増え、出生率が低下した。
3. 地方自治や対面の付き合いが重要な役割;インターネットを通じて時間、距離の制限を超えて人々が付き合っているのを猪木氏は理解していないに違いない。地方自治体はIT化を加速し業務処理効率を更に上げるべきだ。

PageTop

過剰債務の破局 どう防ぐ

「過剰債務の破局 どう防ぐ」というコラムを英Financial Timesのチーフ・エコノミクス・コメンテーター マーティン・ウルフ氏が2019年5月24日の日経新聞に載せている。これは同紙5月10日付のコラム「世界が低インフレの訳」の後編だ。

コラム子は世界がインフレになる可能性とデフレになる可能性についていくつかのシナリオを提示し、どちらも「正しい選択をしなかったがゆえに招いてしまう悲劇」であって不可避ではなく、その施策を提示している。

それには「財政政策と金融政策を組み合わせてインフレなき成長を創出する」のであって、①「債務比率の高い経済を健全化させる方向にインセンティブを修正」し、②「今の借金頼みの資産バブルへの依存を減らすべく、個人消費を高められるような政策に転換」し、③「金融機関の抱える債務を家計のバランスシートに移転させ」れば良いと言う。

そのせいで「実質金利が上昇しても、生産性は伸びているだろうから、」「債務負担におよぼす影響は、まず間違いなく金利上昇の影響を打ち消しておつりが来るはずだ。」と提案した施策によるマイナスの影響を考慮している。

これが日本経済にそのまま適用できるのだろうか?

日本経済の「長期停滞」は日本以外の大国や小国が成長している中での停滞であって、コラム子に見えている世界とはいささか違う気がする。もっとも、政府債務の増大や低金利は日本では小渕政権時に始まり、この点では世界をリードして来た。

コラム子の③の提案は要するに「企業の借金を減らし家庭の借金を増やす」ということだから、これを知ったら日本の選挙民は怒るだろう。日本経済の問題点は国家が借金に塗れ、企業に現金が溢れ、家庭が貧乏になっていることにあるからだ。かっての不況で金融機関に貸し剥がしに苦しんだ企業は労働分配率を低め(給与を低くし)、ひたすら現金を貯め込み、新規事業投資に金をケチった。その為日本経済はGAFAの様な新規産業も生まれず、自動車産業にすがって生き延びることになった。つまり、IT時代にふさわしい形に産業構造を変態(メタモルフォーゼ)させることができないでいる。例えば中国は国家の強権をもってGAFAに対応する企業群を育てており、日本はそれを見て「すごいな」としかいうことができない。

日本のIT産業はメインフレーム時代の発想のままで化石化している。「情報こそ力だ」ということが経団連も政府も分かっていないのではないか?ネット産業も弱小企業のままで、トップの楽天といえどもGAFA並みには育っておらず米国や中国の後塵を拝している。

気になるのは楽天が5Gのネットインフラ事業を始めようとしていることだ。ネットインフラ事業はネットサービス事業とは全く性格が違い、1企業がこれら2種の事業をすると性格分裂に陥ってしまう。経営者の頭脳が異なる思考体系に耐えられないだろう。ネットインフラは事業モデルが比較的単純で収益を見通しやすいのが落とし穴だ。かってNiftyというネットサービス会社があって成功していたがハードメーカの富士通に買収されてすっかり精彩を失った。NIftyも同じ罠に落ちた。

Googleやアマゾンがネットサービスを提供していないのは、彼らはネットベースのビジネスモデルが見えているからだ。しかし、ハード寄りの発想しかできない日本のIT経営者に彼らと同程度の、高度で複雑な抽象概念を処理して将来のビジネスモデルの構想を構築できるだろうか?それができたとして日本の投資家はそれを理解して忍耐強く事業家を支援し続けられるだろうか?

だから日本の取るべき政策は①労働分配率を上げ、②福祉などの低賃金を上げて未就労の日本人に働く喜びを感じさせ、③意欲ある若いネット起業人に20年単位の投資をしてGAFAに相当する企業を育て、④政府のIT政策の責任者に40歳代の活きの良い者を充てることだ。

折しも米国は中国の世界覇権の意欲を挫こうとしている。この為世界経済は一時的な低迷を避けられないだろうが、その影響は軽微なものになるはずだ。何故なら、それは中国への投資を損切りし中国以外のどこかに新たにサプライチェーンを延ばすことだからだ。

筆者はかってこの状況は日本に漁夫の利をもたらすとブログで書いたことがある。例えば、華為や三星が抜けた穴を埋めるのはSONYや富士通だ。日本に不足しているのは、起業家精神とそれを支える健全な長期投資だ。

PageTop

過剰債務の破局 どう防ぐ

「過剰債務の破局 どう防ぐ」というコラムを英Financial Timesのチーフ・エコノミクス・コメンテーター マーティン・ウルフ氏が2019年5月24日の日経新聞に載せている。これは同紙5月10日付のコラム「世界が低インフレの訳」の後編だ。

コラム子は世界がインフレになる可能性とデフレになる可能性についていくつかのシナリオを提示し、どちらも「正しい選択をしなかったがゆえに招いてしまう悲劇」であって不可避ではなく、その施策を提示している。

それには「財政政策と金融政策を組み合わせてインフレなき成長を創出する」のであって、①「債務比率の高い経済を健全化させる方向にインセンティブを修正」し、②「今の借金頼みの資産バブルへの依存を減らすべく、個人消費を高められるような政策に転換」し、③「金融機関の抱える債務を家計のバランスシートに移転させ」れば良いと言う。

そのせいで「実質金利が上昇しても、生産性は伸びているだろうから、」「債務負担におよぼす影響は、まず間違いなく金利上昇の影響を打ち消しておつりが来るはずだ。」と提案した施策によるマイナスの影響を考慮している。

これが日本経済にそのまま適用できるのだろうか?

日本経済の「長期停滞」は日本以外の大国や小国が成長している中での停滞であって、コラム子に見えている世界とはいささか違う気がする。もっとも、政府債務の増大や低金利は日本では小渕政権時に始まり、この点では世界をリードして来た。

コラム子の③の提案は要するに「企業の借金を減らし家庭の借金を増やす」ということだから、これを知ったら日本の選挙民は怒るだろう。日本経済の問題点は国家が借金に塗れ、企業に現金が溢れ、家庭が貧乏になっていることにあるからだ。かっての不況で金融機関に貸し剥がしに苦しんだ企業は労働分配率を低め(給与を低くし)、ひたすら現金を貯め込み、新規事業投資に金をケチった。その為日本経済はGAFAの様な新規産業も生まれず、自動車産業にすがって生き延びることになった。つまり、IT時代にふさわしい形に産業構造を変態(メタモルフォーゼ)させることができないでいる。例えば中国は国家の強権をもってGAFAに対応する企業群を育てており、日本はそれを見て「すごいな」としかいうことができない。

日本のIT産業はメインフレーム時代の発想のままで化石化している。「情報こそ力だ」ということが経団連も政府も分かっていないのではないか?ネット産業も弱小企業のままで、トップの楽天といえどもGAFA並みには育っておらず米国や中国の後塵を拝している。

気になるのは楽天が5Gのネットインフラ事業を始めようとしていることだ。ネットインフラ事業はネットサービス事業とは全く性格が違い、1企業がこれら2種の事業をすると性格分裂に陥ってしまう。経営者の頭脳が異なる思考体系に耐えられないだろう。ネットインフラは事業モデルが比較的単純で収益を見通しやすいのが落とし穴だ。かってNiftyというネットサービス会社があって成功していたがハードメーカの富士通に買収されてすっかり精彩を失った。NIftyも同じ罠に落ちた。

Googleやアマゾンがネットサービスを提供していないのは、彼らはネットベースのビジネスモデルが見えているからだ。しかし、ハード寄りの発想しかできない日本のIT経営者に彼らと同程度の、高度で複雑な抽象概念を処理して将来のビジネスモデルの構想を構築できるだろうか?それができたとして日本の投資家はそれを理解して忍耐強く事業家を支援し続けられるだろうか?
だから日本の取るべき政策は①労働分配率を上げ、②福祉などの低賃金を上げて未就労の日本人に働く喜びを感じさせ、③意欲ある若いネット起業人に20年単位の投資をしてGAFAに相当する企業を育て、④政府のIT政策の責任者に40歳代の活きの良い者を充てることだ。

折しも米国は中国の世界覇権の意欲を挫こうとしている。この為世界経済は一時的な低迷を避けられないだろうが、その影響は軽微なものになるはずだ。何故なら、それは中国への投資を損切りし中国以外のどこかに新たにサプライチェーンを延ばすことだからだ。

筆者はかってこの状況は日本に漁夫の利をもたらすとブログで書いたことがある。例えば、華為や三星が抜けた穴を埋めるのはSONYや富士通だ。日本に不足しているのは、起業家精神とそれを支える健全な長期投資だ。

PageTop